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 俺はセイバーを連れて坂を上り切った先にある武家屋敷、つまりは慣れ親しんだ我が家を目指して歩き、程なく到着した。
 無駄にでかい門に阻まれて分かり難いが、居間の灯りが点いており、ためしに玄関扉に手をかけると、抵抗なくガラガラと横にずれた。
 もちろん戸締りを忘れたわけじゃなく、これは家の鍵を持つ人物が中にいる所為であり、その証しに玄関には見慣れた桜のローファーがある。
 たぶん時間も時間なので、道草していた俺たちよりも早く帰って来たのだろう。
 朝だけでなく夕食もってのはそんなに珍しい話でも何でもないから、桜がいることに気がついてもさっぱり驚かなかった。


 ―――さて、問題は次である。


 桜の靴が視界に入るのと同じタイミングで、俺はその真横に並べられた異物をもついでに見つけていた。
 まるで持ち主の意向を指し照らすが如く、玄関のど真ん中で自己主張している。
 具体的に言えば、此処にある筈ない女物の靴がもう一足、あるのが当然とばかりに鎮座していた。


「どうかしましたか、シロウ」

 立ち止まるの俺の背中にセイバーの声がかかった。

「あ、いや……、なんでもない。探し人が見つかっただけだ。いま、その現実と折り合いをつけてたところ」

「……?」

 そう、俺はその靴が誰のものであるか、知っている。
 現時点ではまだ予想の域を出てないが、別人と考える方が不自然と言える段階まで来ていた。
 だとすれば、この先は魔境。
 自分の家だというのに、さしずめ、銀の鍵の扉を越えて来てしまったような心地。
 その深遠に潜む者は邪神―――、もとい、あくま、か。


「それよりも、さ、セイバー。遠慮なく上がってくれ」

 ま、ここでぐずぐしてても、しょうがないか。
 あれこれと説明するより、直に見てもらった方が早い、と、俺はセイバーを屋敷の中に誘った。
 逃げるという選択肢が無い以上、何はともあれ、先に進むしかないのである。


「そうですか―――まあ、いいでしょう。では、お邪魔します」

 怪訝そうな顔をするも、セイバーは大人しく従った。


 ちなみに、セイバーを招待することについての論議は、既に道中で済んでいる。
 家に招くというのは自陣<ホーム>の情報を与える行為に等しく、無警戒過ぎる というのがセイバーの主張の骨子だったが、俺が強引に説得した。
 逆の立場からすれば、罠という可能性を考慮すべきなのが自然であり、関係上はイーブンであって、気にすることじゃないだろう。
 もちろん、罠なんて無いけどな。
 それに、彼女はまだ俺を警護する役目から解放されていない。
 遠坂と合流するまでは、何処であろうと俺と一緒に行動するのが基本である。
 ちょっとずるいが、セイバーが任務を途中放棄する性格ではないとわかっていたので、俺は強気に出ることが出来たのだった。
 結果、セイバーからまんまと「仕方ありませんね」の言葉を引き出すことに成功している。


 そんなわけで、もう結論が出ている件であるから、多少のことでどうこうと意見する考えは彼女に無いらしい。
 セイバーを背後に引き連れて廊下を渡り、俺は真っ直ぐリビングへと向かう。

 ごめんな、セイバー。
 ここに来るまでに話し合った懸念は、今さらだけど、意味なかったと思う。

 心の中で謝罪しながら、俺はドアを開けた。そして間髪を入れず、問題の人物が俺たちを出迎えた。


「――――――――」
「――――――――」


 視線が合った。
 半瞬遅れて、そいつは何でもないことのように、





「あら、衛宮君、お帰りなさい。勝手にお邪魔させてもらってるわよ」













   Faceless token.     15
















 確認するまでもない。
 我が家のリビングで悠々と、まるで自分の家のように寛いでいるのは、セイバーの主である遠坂凛、その人である。
 麗しの魔女様はおみ足を伸ばし、剥き掛けの蜜柑を手のひらで転がしていた。
 あまつさえ、テーブルに置かれたティーカップからは、芳しい湯気まで立っている。

「紅茶は減点。次からは、もう少しいいお茶っ葉を用意しておきなさい」

 俺の目線が向いた先に気づいて、わざわざそんなことまで言った。
 図々しいというか、その豪胆さがいっそ、清々しいぐらいだ。
 まさかと思った事が当たってしまい、かといって予想的中に喜べる筈もなく、俺はただただ呆れ果てるしかない。


 と。

 どさり。

 不意に、すぐ横で何かが落ちる音がした。
 反射的に落ちたモノを目で追い、直ぐに食料品が満載に詰まったビニール袋であると気づいた。
 ぎりぎりと首を曲げて横を見る。

「た、ただいま」

 俺はかろうじて口に出来た言葉を、左斜め後方で立ち尽くす下級生―――間桐桜に投げかけた。

 ―――拙いな、これは。

 見ると桜は着替えてもおらず、俺と同じような姿勢で固まっている。
 どうやら帰ってきたのはタッチの差だったようで、それが良かったのか悪かったのか―――いや、たぶん悪い。
 状況を鑑みるに、先に家にいたのは遠坂の方であり、且つまだ事情を説明されているようにも見えない。
 であるから、当然、



「先輩……あの、これはどういうコトでしょうか……?」

 と、桜が怯えを含んだ声で訴えかけてきた。


「…………」

「…………」

「……えっと」

 桜が疑問に思うのは無理もない。
 家主不在中に、これまで衛宮家と接点が無かった筈の人間が、堂々とリビングを占拠しているのである。
 釈明したいのは山々だが、アイツが何だって家にいるのか、俺だって根本の動機を知らない。
 遠坂の現在地に勘付いたのも消去法ゆえの憶測に過ぎず、その疑問符は依然、桜との共有財産なのである。
 今の状態では、作り話をでっち上げてよいものか判断に迷うし、それを考えてる余裕もなかった。
 となると、ここは素直に説明責任のある人物に解答を委ねるべき場面だろう。
 助けを求めて元凶にアイコンタクトを送る。
 すると、遠坂は小さく頷き、


「べつにいいんじゃない、士郎。教えてあげたら?」

「……おい」


 無茶、言うなよ。
 むしろ、俺のほうが教えて欲しいぐらいだっていうのに……!
 ぜったい楽しんでるだろ、アイツ。

 と、そこへ、


「先輩を呼び捨て、ですか……?」

 しまったと思ったが、時すでに遅し。桜が意外な質問を遠坂にぶつけた。
 いろいろ使い分けたりもするが、そういえばあの夜の遭遇戦以来、遠坂は俺のことを下の名前でも呼ぶようになっていた。
 あの通りの性格だから空気のように感じていて俺は気にならなかったのだが、第三者から見ればたしかに意味深である。

「あら、よくそこに気が付いたわね。だったら、その意味もわかるでしょ? 間桐さん」

 そして、わざわざ煽るようなことを言う遠坂。

 意味ってなにさ。
 正直、下僕とかは勘弁して欲しい。
 ともかく、桜の誤解を解かなくては。


「えっと……、話すと長くなるんだけどさ―――

「シロウ、どうかしましたか?」

「あ」

「あ」

 タイミングの悪さってのは連動する。いわゆる泥沼ってやつだ。
 顔を出したのは勿論、十五世紀も前の偉人でありながら流暢な日本語を駆使するセイバーさん。
 ……すっかり彼女がいたことも忘れてました。


「〜〜〜っっっ!」

 桜の顔に驚愕の表情が浮かび、声も出せずに絶句していた。
 無理も無い。俺たちの生活にとことん縁がなかった、金髪の異邦人さんの登場である。


「む。凛、ここにいましたか。どうもシロウの様子がおかしいと思っていましたが、そういうことだったのですね」


 もともと俺がさせたことだし、外国人だし、で、本人に悪気は無いのは重々承知なのだが、彼女もまた俺を下の名前で呼ぶ。
 何となく後ろめたくなって、俺は咄嗟にセイバーの体を自分の背に隠した―――それが悪かった。
 二人の視線から庇うように後ろに引いたため、俺は三対の目がぶつかり合う地点に立ち尽くすことになってしまった。


「………」

「………」

「……?」


 不思議な均衡が成立して、そのまま凍り付いたような睨み合いが続く。
 事情を呑み込めないのか、セイバーはきょとんとしていた。
 桜は驚愕だか何だか、たぶん自分でもよくわかってない感情の波に圧され、唖然と。
 遠坂はニヤニヤしている……くそう。
 本当はもう一人いて、たぶん、俺の頭上あたりに隠れ潜んで様子を窺っているのは間違いない。
 是非助けて欲しいものだが、こういったことには知らぬ存ぜぬのヤツなので、役に立たなかった。
 まあ、本当に出てこられても困るけどさ。







「はあ……仕方ないわね。私から説明してあげる」


 沈黙の中、見つめ合うのにも飽きた遠坂が気だるそうに立ち上がり、口を開いた。
 当然だな。この中で、全ての事情を把握しているのは遠坂だけ。
 きちんと説明してくれることを期待する。

 ……が、甘かった。

 魔女の正体は、赤いあくまだったのです。



 カチッ。

「―――?」

 遠坂はテーブルに小さな金属片を置いた。

「これが何か、わかる?」

「なに……って、カギ……?」

「そ、この家の合鍵」

 目を凝らす。
 間違いない。
 あれは朝、ハサンに渡した筈の、この家の合鍵である。
 なぜか遠坂の手にあって、今はテーブルの上にある。


「それが、どうかしましたか?」

 俺の気持ちを代弁するが如く、桜が言った。
 遠坂はフフンと笑う。


「鈍いわねえ、桜。
 男が女に自分の家の鍵を渡す。ねんねじゃあるまいし、これがどういうことか、わかるでしょ?
 つまり、私と士郎は、そーゆー親密な関係ってこと」


「な――――――!」


 叫んだのは、この発言にいちばん衝撃を受けた人物……つまり、俺。

 初耳だ。
 というか、完全な嘘っぱちである。



「違うぞ、桜! これは――――――ぬおっ????!!!」


 否定しようとしたら、台詞の途中で言葉が途切れてしまった。
 何時の間にか背後にまわった遠坂が後ろから腕を伸ばし、自分の体を擦り付けるようにして俺を抱き締めた。
 慎ましながらも自己主張する双丘の感触に、俺の理性は飛びそうになる。


「なっ、ななな、な、なにを……!」

「あら、いいじゃない。どうせ、いつもしてることなんだから」


 誓って、嘘だ。
 いつもって、いつだよ。

 だいたい、昨日、「ぎったんぎったんにしてやる」とか言ったのは、遠坂じゃないのか?
 まさか、コレがそうなのか? たしかに魂魄に直接、ダメージを与えるこの攻撃は、天に召されそうになるぐらい強烈だが。



「ふふ、耳まで真っ赤にしちゃって、テレてる士郎もカワイイわね。
 せっかくだから、私たちの仲、皆に見せつけてやりましょ」

 かぷっ。

「ちょっ ―――――― !!」


 ……いかん、クラクラしてきた。
 この、薬草か、ハーブか、漢方か、って匂いは、もしかして遠坂の体臭なのか?
 遠坂が喋る度に熱く湿った息が、俺の首筋、顔半面にかかり、脳が融けそうになる。



「凛。少々やり過ぎなのでは……?」


 お。
 静かだったセイバーがずいっと前に出て、己のマスターに物申した。
 いいぞ、さすがは最優のサーヴァント。騎士王の威厳ってやつを皆に見せてやってくれ。
 俺はもうそろそろダメそうだから、あとは頼む。

 しかし、遠坂はさらっと言った。



「いいから、あなたは黙ってなさい。ここで追い出されたら、晩ごはん、抜きよ」

「む―――わかりました」



 素早く決断し、セイバーはすごすごと後退した。

 ……ダメだ。くま子さんは役に立たない。

 言うまでもない事だが、セイバーは遠坂のサーヴァントである。
 一日一緒にいただけの俺でも分かるだから、遠坂がセイバーの弱点を知らないはずもなく、勝負は戦う前から見えていた。
 メシを人質に取られたら彼女は成す術がないのだ…………たぶん。


 やっぱり俺が自分で何とかしなきゃならないみたいだ。。
 本能は惜しいと嘆くが、理性をフル動員して遠坂の体を背中から引き剥がした。
 しして、遠坂の饗宴というか、狂演に石化してた桜に呼びかける。


「えっと……、桜っ、さくら!?」

「はっ!」

「あいつが言ったこと、真に受けるなよ。俺たちをからかって遊んでるだけだから」

「ほ、本当ですか?」


 うん。間違いない。
 そもそも、遠坂が手にしている合鍵は、俺がハサンに手渡したものである。
 それを告げるわけにはいかないが、真摯に訴えた成果はあった。
 桜の頬に生気が戻ってくる。
 が、


「ふーん、そんなコト言うんだ。
 ま、信じる、信じないは勝手だけど、私の手に合鍵があるのは事実よ。
 言ってみれば、この屋敷は私の別荘<セカンドハウス> ―――いえ、愛の巣ってところかしら?」


 まだ言うか、この娘は。
 かわいく同意を求めても、俺は頷かないぞ。


「―――! そ、それなら―――」


 何か思いついて、唐突に桜は自分の着衣を弄り始めた。
 俺が知るかぎり、露出の趣味は無かったように思うが―――いや、あったとしても場面的に不条理すぎるが。

「んん―――っ」

 そこで俺は、ようやく桜が何をしているのか、わかった。
 鍵が家に自由に出入りする権利証というなら、桜にだって資格はある。俺が手ずから渡した正規の合鍵を、桜もまた所有していた。
 おそらく張り合うつもりなのだろう。
 しかし、他人の家を別荘などと言い放つジャイアニズム全開の女に、今、それを見せてしまうのは―――


「ありましたっ!」

 あってしまったか。
 桜は合鍵に紐をかけ、首から提げていた。
 遠坂やセイバーには望むべくも無い乙女の秘密ポケットからそれを取り出して、喜び勇んで掲げる。
 だが、予想通りに、


「あ―――」

 すっと手を伸ばし、遠坂は桜の手から鍵を奪い取った。
 どうして、という悲壮感そのものな桜の顔。


「これはもう、貴女には必要ないモノね。セイバーにでもあげましょうか」

「セイバー……?」

「そ、あの子の名前。私の連れよ。なにか文句ある?」

「………………いえ」

 桜は俯き、口を閉ざしてしまう。


「じゃ、そういうことだから。
 今まで士郎の世話をしていたみたいだけど、もう来なくていいわよ。
 はっきり言って用済み。おつかれさま」

 ひらひらと手を振り、遠坂は容赦なく桜を追い立てた。



「いいかげんしろよ、遠坂。どういうつもりだ?」

 カチンときた。
 成り行きを見守っていたが、さすがに今のは看破出来ない。
 冗談にしても、大概、酷すぎる。
 俺を弄るならともかく、桜にあたるのは筋違いだろう。
 声を荒上げて、遠坂に迫った。



「どう、って、桜を追い出すつもりに、決まってるじゃない。あんたも協力して」

「そんなコト、できるかよ。なんだって、いきなり―――」

「結果同じなら、早い方がいいでしょ」

「あのなあ―――」

 と、俺たちが言い争いをしてると、不意に、




「………………返して、ください」

「え―――なに?」

「鍵を返してくださいっ!」

 小さな声で、しかしはっきりと桜が主張した。
 敵意というか、妥協しない対抗心といったものが語調に滲んでいる。
 遠坂は目を見開き、驚きの表情をしていた。
 もちろん、俺も。
 セイバーはお腹がすいている。


「ダメよ、鍵は返さない。家に来られても迷惑だし、来ないほうが貴女のためだから」

「納得できません。どうして先輩を巻き込むんですか?」

「そ、そんなこと、貴女には関係ないじゃない」

「関係なくありません。私がいちばん先輩のコトをよく知ってるんです。
 姉さんの方こそ、先輩と何の関係があると言うんですか?」

 それは驚くべき光景だった。
 例え口であっても争い事を好まない桜が、あろうことか、遠坂に噛みついている。
 そんな桜を見たのは初めてで、なんて言ったものか判断がつかない。

「……とにかくダメよ。諦めなさい」

「答えられないんですね。だったら、早く鍵を返してください」

 もっとも、少々桜の勢いに圧され気味だが、遠坂も譲る気はないらしい。
 その点は桜も同じだから、結果、殺伐としてくる。

 一体全体、どういうことだ?
 どう見ても修羅場としか思えない光景が目の前に広がっている。
 堪えきれなくて視線を逸らすと、セイバーと目が合う。
 アイコンタクトで情報交換し、互いに手の施しようがないと首を振った。

 どうやって収拾つけたものか ―――




 ―――と、そこへ、救い主は意外なところから現れた。






 がらがらと玄関の横開き戸が開く音がして、


「しーろお―っ、おねえちゃん、おなかすいた―――!」


 能天気な声が屋内に木霊した。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 バカ虎、光臨。
 互いに顔を見合わせ、会話がぴたりと止まった。
 緊張の糸が切れる前に弛んでくれて助かったと言いたいところだが、それは新たな火種が持ち込まれたからってだけに過ぎない。
 桜はともかくとして、今は遠坂とセイバーさんがいらっしゃる。
 現状ではぱっと見、何処の女子寮かと問い詰めたく衛宮亭。
 身内も同然な人に対して我ながら酷い諦観だと思うが、藤ねえに大人の対応を期待するだけ野暮ってものである。
 なりたくてなったわけじゃないが、虎の生態に関して第一人者である俺が思うに、これで一騒動起こらない方が奇跡だ。
 叫ぶ、吼える、暴れる、物を壊す、等々、場が治まるどころか、むしろ混乱、混沌、大惨事な有様が目に浮かぶ。
 また近所に頭を下げて周る必要がありそうだな、これは。

「ど、どうしましょう」

 桜が視線を彷徨わせた。俺も以下同文。
 結果が見えていてもこの短い時間では対処のしようがないから、俺たちに出来るのはオロオロするぐらいなものだ。
 一方の遠坂はというと、

「あら、先生が帰ってきたみたいね」

 と、事も無げに言いやがった。

 なんだ、随分と余裕あるじゃないか。
 巻き込まれただけの俺たちが慌ててるっていうのに、肝心の元凶が他人事のような態度かよ。
 何か理不尽なものを感じる。


 そんなことを考えてる間にも、ずかずかと廊下を歩く音が近づいてきた。
 ばたんっと扉が開き、藤ねえが居間に顔を出した。
 最初に目が合ったのは俺。

「士郎、いるんじゃない。だったら、ちゃんと返事ぐらいしなさいよぉ」

「……お、おかえり、藤ねえ」

 もう、成り行きに任せるしかないな、と、答えながら思う。
 俺が挨拶したことに気を良くした藤ねえはうんうんと頷き、それからゆっくりと居間を見渡した。
 それから、当たり前のように二人の姿を補足した。

「あのさ―――」

 と、何か言おうとして、

「おじゃましてます。藤村先生」

 遠坂が先手を取って挨拶をし、礼儀正しく頭を下げた。
 どういうわけか、藤ねえはぱっと顔を輝かせて、

「あら、遠坂さん、セイバーちゃん、いらっしゃい。
 この家なにも無いけど、広さだけはじゅうぶんだから、ゆっくりしてってね」

 と、まるで自分の家のようなこと言って、微笑みかけた。
 それから俺たちの真ん前を抜けて、所定の自分の席に座る。


「…………」


 拍子抜けするぐらいに普通の会話だった。
 普段の藤ねえを知る俺と桜は思わず互いに顔を見合わせた。
 勿論、これで終わりだと考えるようでは、 藤ねえの世話係<ビーストテイマー>を名乗る資格無し。
 たぶん頭の中がオーバーヒートして、状況把握に時間がかかっているのだろう。
 所謂一つの、嵐の前の静けさってやつだ。

 この寸暇、戯れに閑寂が占めた居間に、壁掛け時計の針音がやけに響く。
 爆発したら、取り敢えず土下座だな。
 なにゆえに俺が謝んなきゃならんのか今ひとつ謎だが、それがいちばん無難な対応だろう。
 困ったら謝っとけって発想が出てくるあたり、つくづく俺も日本人だった。
 そういうわけで、滑り込み体勢を準備しつつ、俺は虎が咆える瞬間を待った。

 待った。

 待った。

 待った。

 待った……


 ……あれ?


「ん? どしたの、士郎。不思議そうな顔しちゃって」

 おかしい…………いつまで待っても暴発しない。
 逆に、テーブルの上に顎を乗せて弛緩している藤ねえに問われてしまった。
 不思議なのはアンタだ、と、叫び出しそうになるのをぐっと堪えて、訊いた。

「藤ねえ、驚かないのか?」

「何に?」

「何って―――遠坂とセイバーが家にいるわけだが」

 これでは不純異性交遊だ―――違うけどさ。
 年頃の女子を3名抱えている状態は、慎二じゃあるまいし、姉の目から見ても普通とは言えないだろう。
 で、あらためて藤ねえに訊ねる、と、

「驚かないわよ。だって、わたしが呼んだんだもん」

「―――は?」

「今日って約束してたわけじゃないけど、いつでも遊びに来なさいって話してあったからね」


 俺は咄嗟に遠坂の方へ顔を向けた。
 フッと表情を緩め、肩を竦める遠坂の姿が目に止まる。

 ……やられた。

 妙に余裕ありげだった理由はこれか。
 要するに、遠坂は先に藤ねえを落としていたわけだ。

 しかし、どうやって遠坂は藤ねえを説得したんだ?
 口がうまいのは何となくわかるが、理屈が通じない相手というのは歴然と存在する。
 藤ねえがまさにそれで、ちょっとやそっとの説得が通じるほど生やさしい人じゃない。
 まさか、腕力で―――なんてことを考えてると、

「もしかして、士郎、聞いてない?」

「何が?」

「セイバーちゃん、切嗣さんの知り合いなんだって」

「へ?」

 予想外の人物の名前が藤ねえの口から出てきた。

「ほら、切嗣さんって年がら年中外国に行ってたじゃない。その時知り合ったそうよ」

「………………」

「その方って、たしか―――」

 桜が遠慮がちに口を挟む。

「……ああ、俺の親父だ」



 藤ねえはさらに、おそらくは遠坂創作と思われるセイバーの略歴を紹介する。
 セイバーは家庭の事情で国を離れることになった。
 最初は親父を頼るつもりだったそうだが、知って通り五年前に鬼籍に入っている。
 しかし、たまたま冬木に住んでいる遠坂とは親戚だったので、こっちで暮らすことになった。
 ―――ということらしい。

 かなり強引だが、筋は通っている。
 親父はふらりと外国に出かけるひょうろく玉で、あちこちに知り合いがいてもおかしくない。
 現に、貰われっ子である俺という前例がある以上、今まで誰も訪ねて来なかったのが不思議なぐらいだろう。
 これで、衛宮の家に住むなんてことになったら一悶着ありそうだが、所属はあくまで遠坂家である。
 時々遊びに来る程度なら、藤ねえ的には許容範囲らしい。

 となると残る問題は、どうして遠坂たちが親父の事を知っているのか、ってことになる。
 調べたのか? 遠坂ならそれも可能だろうが、やはり今日昨日で、故人である親父の性格まで掴めるとは考え難い。
 となると、あれだ。まさか、本当に衛宮切嗣を知っていた?
 嘘をつくコツは真実の中に混ぜることであり、この場合、本当に隠さなくてはならない嘘とは魔術全般と聖杯戦争に纏わる神秘である。
 ならば、その他の事 ――― セイバーが親父と知り合いって話は事実なのか?



「セイバーちゃん、10年前にも冬木に遊びに来たことがあるそうよ。
 ちょっとあいだだけど、この家に滞在した事もあるんだって」


 …………!
 藤ねえの何気ないその一言で、ある繋がりが衝動的に頭に浮かんだ。


 10年前。
 大火災。
 前回の聖杯戦争。

 サーヴァントであるセイバー。
 マスターだった衛宮切嗣。



 まさか、


 昨日、監督者である言峰の口から親父が聖杯戦争のマスターであることを聞いた。
 マスターである以上、サーヴァントがいたことも間違いない。
 そして俺は、親父のサーヴァントがどんなやつだったかまでは聞いていなかった。

 ―――つまり、そういことなのか?





「ま、そういうわけだから」

 藤ねえとのやり取りを遠巻きに見ていただけだった遠坂が動いた。
 俺の肩に手を乗せ、そんなことを言う。

「桜も、からかって悪かったわ。鍵は返すわね」

「あ―――いえ……」

 狐につままれたような顔をしている桜の手のひらに、遠坂がそっと鍵を握らせた。

「いろいろ言いたいことはあるだろうけど、今はこれで納得してちょうだい。
 せめて此処にいる間だけでも、セイバーとは仲良くしてあげてね」

 遠坂はそう言ってセイバーの手を取り、桜の前に差し出した。
 これまでのやり取りから察するに、桜と遠坂はもとからの知り合いみたいだけど、そういえばセイバーとは初顔合わせ。
 半ば無理やり拵えられた対座に、二人はどちらからともなく頭を下げた。
 この少女たちの和解を藤ねえはニコニコと、俺は呆然と立ち尽くしたまま見送った。


「もういいわね。衛宮君はまだ納得してない顔してるけど、立ち話も何だし、続きはまた後にしましょう」


 遠坂はあからさまに、この件を打ち切ろうとしていた。
 ……そうだな。
 せっかく治まりがつきかけているところに、わざわざ自ら虎口に飛び込む必要はない。
 遠坂が藤ねえに何を言ったかたいへん気になるが、火急の話ではないので後でもいいだろう。
 もしかして、もしかするとだが、魔術を使った可能性もあり、そうなると、桜や藤ねえがいる前で話せる内容じゃなくなる。
 どうせ、他にも訊きたいことが山ほどあるわけだし、今は遠坂に従うことにした。



「……よし。もう時間も遅いことだし、取り敢えずメシにするか」

 気持ちを切り替え、建設的な方向に意識を向けた。

「そーよ。お姉ちゃん、おなかぺこぺこーっ。で、今日の献立はなに?」

「ああ、わるい、藤ねえ。
 俺もついさっき帰ってきたところだから、まだ手もつけてないんだ。
 ちゃっちゃと作るから、もうちょっと待っててくれ」

 床に落ちている食材を拾い集めようと屈伸。それから言った。

「そうだ。遠坂とセイバーも食べてくだろ?」

「ええ。そうして頂けると助かります」

 と、これはセイバー。
 控えめで丁寧な口調ながら、迷いなくきっぱり頷くのがセイバーらしい。
 同じ欠食児童でも、これを出来るのが藤ねえとの差だ。


「ふーん。そうなんじゃないかと踏んでいたけど、この家の食事って、やっぱり衛宮君が作ってるんだ」

 でもって、遠坂の方は、そんなことを言う。
 何処となく含みある物言いに、俺は抗議の声を上げた。

「別に好きで作ってるわけじゃないぞ。
 基本的に一人暮らしだから、自分でやらなきゃならないだけだ。
 今は桜だって手伝ってくれるし」

「はい。先輩は料理の師匠です。わたしなんて、まだまだですけどね」

 桜が相槌するように話を合わせてきた。
 本人は謙遜するが、実際、桜の上達は目覚しいものがあったりする。
 和食はまだ俺に分があるが、洋食あたりはもう追い越しているのではないだろうか。
 握り飯もろくに作れなかった家に来たばかりの頃に比べると、雲泥の差。
 師匠としては、弟子の成長を喜ぶと共に、こっちもうかうかしてられないな、と、気を引き締めるしだいである。
 そんなふうに和やかに桜と話していると、


「そう、桜がねえ」

 意外そうに遠坂が感想を漏らす。で、

「だったら、今日は私が作ろうかしら」

「はい?」

 何が「だったら」なのか不明だが、予期せぬ提案が遠坂の口から出てきた。

「遠坂が?」

「失礼ね。私だって料理ぐらい作れるわよ」

 あ、そういえばセイバーが遠坂の料理を褒めていたっけ。
 セイバーが評価するからには、生半可ではないのだろう。
 遠坂は何でも出来る気がするし、逆に意外なものが苦手なんじゃないかという気がしないでもない。
 この場合、答えはミスパーフェークトの二つ名を裏切らない前者の方だったようだ。


「そうね、二人が和食で洋食なら、私は中華でも作りましょうか。どう?」

「どうと言われてもなあ。今日の遠坂はお客さんだろ? なのにメシを作らせるのは―――」

「あ、遠坂さん、中華ができるんだ。たのしみー」

「ふ、藤ねえ……」

 渋りつつもはっきりと拒絶できない俺を無視して、藤ねえが言った。
 遠坂が今晩の夕食を作ることを認めている、というより、もはや決定事項な物言いである。
 たしかにうちの食卓に中華料理があがることはないから、好奇心が勝ったのだろう。
 どうにも中華は味が単調だという先入観が抜けなくて、普段、俺は作らないしな。
 しかし、教師として、それでいいのだろうか。

 ちなみに、ここでは話題に上がっていない藤ねえの得意料理は、ダイエット料理である。
 どんなに高カロリーな食材を用いても、完食すれば三キロは痩せられる。
 胃の中のものを残らず吐き出したうえ、三日ばかり食物自体を口に出来なくなった人心御供の藤村組の若い衆に合掌。
 著しく健康を損なうため、桜には内緒である。


「むむ、凛が作るのですか?」

 そこで、セイバーが口を挟んだ。

「そうよ―――なに? 不満そうね」

「い、いえ。そういうわけでは……。てっきり、今日はシロウの料理が食べられると思っていたので」

 否定しつつも、セイバーの微妙な表情を見れば、本心ではないことは明らかだった。
 今晩とは言わなかったが、そういえばそういう約束をしたっけ。

「あんたねえ、うちのエンゲル係数がどんなことになってるか、わかってる?
 食費が払えないなら、労働で返すのが基本。等価交換よ。今日のところは我慢して、次にしなさい」

 次もあるのか?と脳内突っ込みする俺をよそに、遠坂の説得に対して、セイバーは仕方なしに頷いた。
 人様の家計に口出しするつもりはないが、言葉尻に軽口と聞き流せない怨嗟が込められている気がして、ちょっとだけ気になった。
 ともあれ、これで3票が遠坂の手の内に。

「で、衛宮くんはどうかしら? まさか、他人は台所に入れたくないとか、そんな信念があったりする?」

「いや、そういうわけじゃないが」

 正直、遠坂が作る夕飯に興味がないといえば嘘になる。
 それに、今日は夕飯を二回作ろうと思っていたところでもあった。
 手間を厭うつもりはないけれど、物理的に助かるのは事実だったりする。

「わかった。今回は遠坂にお願いする」

 まあ、完全に俺に結論を委ねているっぽい桜の票を合わせても、多数決で負ける。
 説得の仕方によってはセイバーを引き込めそうだが、そこまでして拒絶する理由もまた、存在しなかった。


「そう、よかった。じゃあ、さっさと作りますか。士郎も手伝いなさい」

「ああ。いいぞ」

 そうして遠坂が俺の手を取り、厨房へと誘う。
 結局、俺は休めないようだが、別に構わない。


「あ、私も手伝います」

 桜が名乗りを上げた。

「ん、よろしくたの――――――っっっ!!」

 遠坂が皆に見えない角度から俺の脛に蹴りをいれ、息が詰まった。
 体を寄せ、俺に耳打ちする。

『桜を連れてきたら意味ないでしょう』

 そ、そうか。
 いくら鈍い俺でも理解できた。
 遠坂は二人で話せる時間というか、場所を作ってくれたのか。

「台所に三人は狭いし、俺だけで大丈夫だから、桜は居間で待っていてくれ」

 まだ何か言いたげな桜を置いて、俺たちは遅くなった夕食を作るべく、移動した。














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