調理器具の所在と種類、それから現状で確保できている食材を前にして一考した後、遠坂はテキパキと作業を開始した。
 決して疑っていたわけじゃないが、どうやら料理できるという話は本当のことらしい。なかなかの手際の良さだ。
 この調子だと任せてしまっても大丈夫そうなので、俺は余計な口出しはせず、手伝いに徹することにした。
 途中で「火力が足りないわね」などと言い出して、コンロが一時的にガス以外の燃料源を獲得したりしたが、概ね順調に黙々と調理が進む。

「〜♪」

 エプロン姿で快調にフライパンを振り回す遠坂の背中を眺めていて、俺はふと思った。
 これって女の子の、それも、非公認ミス穂群原学園である遠坂凛の手料理なんだよな。
 ちょっと前までは想像することさえなかった驚くべき展開である。
 モノローグだから口を滑らせてしまうと、遠坂は少なからず憧れの対象であったわけで、この展開はワンダーでハピネスだ。
 もちろん前提として、聖杯戦争の存在が結びつけた縁であることは承知している。
 偶発的且つ本来ならば相容れない物騒な間柄、マスター同士であるわけで、浮かれてばかりはいられない。
 よし。
 気を引き締めて一言、


「で、どういうつもりなんだ?」

 頃合を見計らい、俺は遠坂の背中に向かって本題を切り出した。













   Faceless token.     16
















「どういうって、何が?」

 作業する手を休めることなく遠坂が返した。

「そりゃ―――」

 いろいろある。ありすぎて、何から訊けばいいか悩むほど。
 優先順位なんてつけられないが、差し当たり手近なところから攻めることにした。

「まず、どうして桜にあんなことを言ったんだ?
 嘘をついてまで家から追い出そうとするなんて、ちょっと酷いぞ」

 遠坂がキツい性格であるのは、ここ何日かの付き合いでよくわかっている。
 同時に、人と人との距離感がわからない自己中なだけの娘じゃないことも俺は了解していた。
 遠坂は人でなしの魔術師に属しているが、基本的に善性の人なのである。でなければあのセイバーが主として認めまい。
 だからこそ桜に対し、やけに攻撃的だったさっきの遠坂の態度が気になったのだ。


「ふーん、そこから訊くんだ。ま、衛宮君らしいけどね」

 パチンと火を止めて包丁を置き、遠坂はくるりと俺の方に振り向いた。

「言っておくけど、桜をこの家から出すつもりなのは、今でも変わらないわよ」

「なんだって――――――う……」

 腕を組んだ遠坂がギロリと俺を睨み、思わず怯んだ。
 質量を伴なった鋭い視線とはこういうものをいうんだろう。実際、あるのかもしれない。

「あんたねえ、その脳みその皺、もしかして一筆書き? 一度水洗いした方がいいんじゃないの?
 一応確認するけど、自分が今どういう状況なのか、ちゃんとわかってる?」

「わ、わかってるつもり……だけど」

 聖杯戦争のこと、だよな? うん。

「ふう……その様子だと、ぜんぜん、わかってないみたいね。
 いい? 戦争よ。殺し合いしてるのよ、私たち。
 もし私が桜を人質にして、衛宮君に降伏を迫ったりしたら、どうするつもりだったの?
 いえ、それならまだしも、相手の身内を殺害して揺さぶりをかけてくるようなヤツだったとしたら―――」

「でも、遠坂はそんなことしないだろ」

「そりゃそうだけど、例えばの話よ。私がしなくても、他のマスターも同じ考えとはかぎらないでしょ。
 最近、新都で起きているガス漏れ事件、知ってる?
 不特定多数の一般人を巻き込んで、それでもケロリとしているマスターがいるのは、まず間違いないわ」

 遠坂の言葉で俺は朝、偶然目にしたニュース番組の報道を思い出した。
 隣町である新都で大きな事故が起きて、多数の人たちが意識不明の重体に陥っているらしい。
 遠坂はこれを「他の参戦者の所為」と断定的に論じている。
 証拠があるわけじゃないが、聖杯戦争という裏の事情を知る一人として、事件の火元は推測するまでもないということか。

「根本的に、あんたは無警戒過ぎるのよ。
 この屋敷だって絶対的に安全なわけじゃないし、実際、敵マスターである私と私のサーヴァントであるセイバーが入り込めているのよ」

 主従そろって同じような忠告を口にする。但し、少し違うのは、

「衛宮君の命はアサシンが必死で守るのでしょうけど、その他の人まで守る余裕はないだろうし、そんな義理もないわ。
 だから、あんたがしっかりしなきゃダメなの。
 このゲームに参加を表明した以上、衛宮君が死のうが生きようが私の知ったことじゃないけど、
 もし桜に何かあったとしたら――――――私は絶対にあなたを許さないから」

 もちろん、藤村先生にもね、と、遠坂は付け加えた。

「…………」

 ……そうだな。遠坂の言うことは、もっともだ。
 俺のことはいい。参戦は自己責任であり、それ相応の覚悟はある。
 だが、そんな俺の我侭に周囲の人間まで巻き込んでしまう道理はない。生死が賭かっているなら尚更だ。
 早々に積極的な動きを控える作戦に決めた所為もあって、未だ実感し難く、弛んでいたかもしれない。
 そんな未熟な俺を、敵であると自称する遠坂が嗜めてくれていた。
 これだから頭が上がらない。

「……悪かった。遠坂の言い分はいちいち正しい。以後、気をつける」

「精神論だけじゃなくて、実際に行動に移しなさい」

「ああ」

 藤ねえと桜には、しばらく屋敷に来るのは控えてもらうことにしよう。
 寂しくなるが、背に腹は変えられない。遠坂が言う通り、何かあってからでは遅いしな。
 ともあれ、遠坂が桜を嫌っていないと知って、安心した。
 むしろ、家族同然とは口ばかりだった俺なんかより、ずっと桜に心身を砕いているんじゃなかろうか。
 反省することしきりである。
 となると、気になるのが―――

「それはそれとして、いくら桜のためといっても、少し厳しい、というか、無茶苦茶に言い過ぎたんじゃないのか?
 桜にかぎってそんなことないと思いたいけど、あれじゃ、恨まれたって仕方ないぞ」

 あんな桜は初めて見た気がする。ちょっとした驚きだった。

「別にいいわよ、恨まれることぐらい。それで桜が安全になるんだったらね。
 それより、ちゃんと自分の口で言える? さっきは失敗しちゃったけど、何だったら私をダシに使ってもいいのよ」

「いや、俺の口から、ちゃんと言うよ。でも、いいのか?」

「何が?」

「その、なんだ。はじめて知ったけど、遠坂、桜と知り合いなのか?なんか、桜も気にしてたみたいだったし」

「―――まあ、ちょっとね。こっちの事情だから、あまり訊かないでちょうだい」

「そっか」


 俺は自分でも鈍い方だと自覚しているが、そこまでじゃない。
 さっき、激昂した桜が、遠坂に向かって遠坂のことを何といったのか、俺はちゃんと覚えていた。
 対応に困って咄嗟に聞き逃したフリをしたが、もしそれが事実であるとすれば、今日いちばんのビックリだ。

 しかし、気になるのは山々なのだが、当事者である遠坂が訊くなというのなら、
 ―――二人の関係に立ち入る権利は俺には無い。

 それぞれの家にはそれぞれの事情というものがある。
 血筋や血統が実利的にも意味を持つ魔術師の家系であるから、複雑なのは容易に想像できる。
 例えば手近に我が衛宮家にしたって、俺は切嗣の血の繋がった子供ではなく養子である。
 親父は親父であって他人にとやかく言われても気にしないが、だからといってわざわざ宣伝して歩く気にはなれない。
 藤ねえ至っては法的にも赤の他人で、家族同然、とか、およそ家族、とか、そんな前置きが必要となるのだ。
 まあ、いろいろある。
 時期がくれば話してくれるかもしれないし、一生話してくれないかもしれない。
 ともかく今はその直でないことは明らかで、そう判断した遠坂が正しいのだろう。







 いつまでも手を休めているわけにはいかないので調理を再開する。
 肩を並べて唾が飛ばないように気を使いながら遠坂と話した。
 セイバーのこと。
 結界のこと。
 その内容は事前にセイバーが話してくれたこととほぼ同じで、確認作業と呼ぶべきものに近い。
 違うところがあるとすれば、話の終わりに遠坂からの提案があったことだ。

「同盟って言うほど馴れ合う気は無いけど、一応、結界の件が片付くまでは、不戦協定を結ばない?」

 こちらとしても願ったり叶ったりの提案で、俺は一二もなく同意する。
 もともと聖杯戦争のライバルだからといっても、遠坂と敵対することには躊躇いがあったのは正直なところ。
 もちろん戦闘放棄しているわけじゃなく、いざとなれば俺だって考えるが、ソレはソレ。
 今は何よりあれを何とかするのが優先なのである。
 ハサンには断りもなく受けてしまったけど、このぐらいはマスター特権として許して貰おう。
 済し崩し的に、既にもうそうなってしまっているみたいなものだから、これは現状を明文化しただけの話である。

「ありがと。じゃ、承諾ってことでいいわけね。
 そういうわけで、明日もアサシンを借りるわよ。さすがに隠密のサーヴァントだけあって、裏方はセイバーより適正あるし」

「む、明日もか?」

「何よ、文句でもあるって言うの。代わりにセイバーを貸してあげるんだから、いいじゃない」

 何を言っても遠坂が主旨変えするわけないし、セイバーに不満があるわけじゃないのはその通りだから、黙っておくことにする。
 このぶんだと明日もハサンは遠坂のところに出向決定か。苦労かけて申し訳ない。


「で、結局、明日から具体的にどうするんだ?」

「そうねえ……」

 遠坂からの報告によると結界の起点はすべて探り当てたそうだが、それを取り除くまでには至らなかったそうだ。
 判別が困難なほどの複雑な術式で組まれていて、遠坂でも結界の進行を遅れさせるぐらいがせいぜいだったらしい。
 もちろん、遠坂でも無理なものが俺に出来る筈もなく、結界そのものを撤去する策は暗礁に乗り上げた。
 だとすれば、やはり、

「敵マスターの正体を探して見つけ出すしかないわね。
 おそらく学校の関係者だろうってアサシンは言っていたわ。証拠はないから勘でしかないけど、私も同じ見解。
 自分の生活圏内に陣地を置きたいと思うのは当然だし、人質として使うにしても、知っている人たちの方が扱いやすいから」

「―――――――――」

「でも、そこまでわかってて、肝心の相手の正体は、検討もつかないのよね。いくら探っても、魔術師がいた痕跡が全然ないし。
 あんたみたいな前例があるから、魔力香が無いからって絶対にいないとは言い切れないけど、だったらあんな高度な術式が組めたことの説明がつかない。
 ―――いえ、そんなに凄い結界師だからこそ魔力隠蔽も完璧で、見つけられないのかしら。
 ちょっと訊くけど、最近、学園の関係者でアヤしい人物とか、見かけなかった?」

「アヤしい人物か」

 うちの学校でアヤしい人物と言えば、ダントツで女教師藤村である―――が、さすがにそれはないだろう。
 あからさまにサーヴァントっぽいやつが学校や商店街をうろうろしてるわけないしな。
 あとは……、いかん、考えれば考えるほど虎の奇行ばかりがフラッシュバックして、他に思いつかない。

「ま、そんな都合いい人、いるわけないか。
 やっぱり、地道に魔力の残滓を探ってくしかないかしらね」

 と、考え込む遠坂。状況はあまり芳しくないようだ。
 こうして姿を見せない敵に翻弄されるのも、聖杯戦争の一部ということなのだろう。

「あのさ、ちょっと訊いていいかな?」

「ん、なに? 何か思い出した?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ……その、俺にも手伝えることないか、と思って」

 遠坂ばかりを働かせるのは心苦しいし、やっぱり目前の危機を知りながら何も出来ないというのは、焦れったい。
 初歩の初歩である強化魔術すらロクに使えない俺に出来るのことなんてたかが知れてるが、もしやと思い、おそるおそる訊いてみる。
 で―――


「ないわ」


 と、遠坂はきっぱり言い切った。


「あ――――――う、そりゃ、自分でも未熟なことはわかっている。
 けど、黙って見ているだけなんて、俺には我慢できない。ちょっとでも役に立てたら―――」

 ―――って。
 ピクリと青筋立てて、凍りつくようなあくまの笑みを浮かべる遠坂さん。

「わかってないみたいね、この、へっぽこ。
 いい? あんたが動けば、かえって邪魔なの。足手まといなの。
 衛宮君の仕事は、アサシンが安心して働けるように、騒がず、慌てず、石ころ帽子かぶったみたいに大人しくしていること。
 その時になったらその時になったでちゃんと働いてもらうから、今はセイバーに守られてなさい」

 むむ。
 わかってたことだが、遠坂の俺への評価は、そんなレベルなのか。
 微妙に傷つく。

「あ、言っておくけど、セイバーは貸すだけだからね。
 もし手を出そうものなら、去勢で済むのが寛大な措置に思えるほどの過酷な罰を与えるから、そのつもりで。
 いちゃいちゃするなら、せいぜい、私の目の届かないところでバレないようにすることね」

「いちゃいちゃって、そんな、俺とセイバーは、別にそんな関係じゃ――――――」


「あの……」


「―――っ!」

「―――っ!」

 瞬間、背後からの声に、俺たちは不意をつかれた猫のように飛び退いた。


「えっと……さくら?」

「はい。桜です。何か、じゃましちゃいましたか?」

「あ―――いや、そんなことないぞ。大丈夫だ、うん」

「……?」

 話に夢中で桜の唐突な登場に気づかなかった俺たち。
 しかしあの様子だと、肝心なところは聞かれなかったようだ。
 あぶない、あぶない。


「それより、どうしたんだ、桜。晩飯が出来るまでもうちょっとかかるぞ」

「えっと、要と言うほどのことじゃないんですけど、何か私で手伝えることはないのかな、と思いまして……」

 対象こそ違うが、ついさっきの俺と同じようなことを言った。

「なんか、セイバーさんと藤村先生が二人で盛り上がってて、私はどうも居づらくて」

 はは、と、桜は力なく笑う。
 まあ、あの猛獣2頭のお守りをするのは、穏やかな性格の桜では辛かろう。
 なんとなく気持ちはわかる。けれど、

「んー。気持ちは嬉しいけど、もう手伝って貰えるようなことはないわね。
 この台所も、三人じゃちょっと狭いし」

 遠坂の台詞は意地悪が出所ではなく、現状を的確に言い表している。
 三人が入れないこともないが、それだけ作業スペースも取られることになるわけで、効率の面から見てもちょっと微妙なのだ。


「そうですよね……」

 しゅんと項垂れる桜。

 と――――――その時、閃いた。
 いや、閃いたというほど大層なアイデアではないが、問題を解決するいい方法が。


「そうだ、桜。俺と交代するか」

「え? 先輩とですか? それって―――」

「うん。後は遠坂と桜で仕上げてくれ。俺はあっちの二人の面倒を見てくるから」

「ちょっと、衛宮くん―――!」

「なんだよ。べつにいいだろ。もう話すことなんて、そんなにないし。
 こう見えて桜だって料理は得意なんだ。なにせ俺の自慢の弟子だからな」

「そんな心配はしてないけど…………」

 躊躇い、というか、珍しくも怯えのようなものがちらほら遠坂から窺えた。
 そんな様子を見て不覚にもかわいいと思ってしまい、慌てて首を振る。
 ともあれ、今日は遠坂に振り回されっぱなしな一日だったが、最後の最後で仕返しができそうだ。

「桜はどうだ? もしかして遠坂のことが嫌いか? 二人きりだと気拙い、とか……」

「いえ! 決して、そんなことは―――!」

「うん。だったら決まりだな。後はよろしく頼む」

 自分でもちょっとずるい手だと思ったが、桜から承諾の意を引き出して、遠坂の前に連れ出した。
 二人は顔を見合わせ、ちょっと照れたように苦笑い。

「ふう―――まったく、しょうがないわね」

 遠坂は困ったふうな表情を浮かべるが、決して嫌がってはいない。
 盛大な溜息の後、最後には柔らかい笑顔を見せてくれた。

「ほら、そんなところにいつまでも立ってないで、こっちに来なさい。こうなったら、ちゃんと手伝ってもらうわよ」

「……! はい! 不束者ですが、よろしくお願いします」

「ふふ。バカね。嫁入りでもあるまいし、たかが夕食を作るだけなんだから、そんなに緊張しない」

「はい」

 そうして、遠坂と桜が同じ台所に並んだ。

「ああ、出来たら呼んでくれよ。皿運びぐらい、向こうの二人にもやらせるから」

 そう告げて、桜と交代に俺は台所を飛び出す。
 出入り口を抜ける前に一度だけ振り返った。


 ―――なんだ、うまくいってるじゃないか。


 お互い気を使ってか、二人の間は少しだけ空いていた。
 けれど、ぎこちなくも会話し、笑い合っている。
 きっとそれは、俺なんかが邪魔してはいけない大事な時間なのだ。
 いろいろと複雑な事情がありそうだが、このぐらいは許されるだろう。
 もう心配はいらないな、と、俺は踵を返した。

 さて。
 今度は俺の姉の様子でも見てくるか。






















 ずっかーーん。

 ばりばり。

 どーん。

 どがどが、どどど、がんがん、どーん。



 居間に戻ると、そこは戦場だった。
 二匹の猫科の猛獣が一進一退の死闘を繰り広げている。


「やりますね、タイガ。しかし、勝つのは私だ!」

「それはこっちの台詞よ、セイバーちゃん。戦いの年季の差、思い知るがいいいいいっっ!」

 一気に間を詰めた藤ねえがセイバーを追い詰める。

「くっ……!」

 しかし、未来予知とまで名指しされるセイバーの直感スキルが働いたか、寸でのところでかわして包囲を抜けた。
 反対に隙を見て攻撃を重ねてくるが、これを読んでいた藤ねえはバックステップで距離を取る。
 互いが睨み合う硬直状態に陥り、静かな緊張が二人の間を吹き抜けた。


「初めてとは思えない卓越した技量、なかなか手強い!」

初心者<ルーキー>と言えど、 ひとたび戦場に出れば一介の戦士。騎士の名にかけて、この身に敗北の二文字はない」

「よくいった! それでこそ、我が強敵<とも>よ……!」

 藤ねえの声を合図に再び二人の拳と得物が交錯する。
 これでは桜が入り込めないと言ったのも無理はない。まぎれもなくそれは死闘だった。



「……………………」

 ―――といっても、本当に殴り合っているわけじゃなく、テレビゲームの中での話だけどな。

 どうやら暇を持て余した藤ねえがゲーム機を引っ張り出してきて、セイバーに挑んでいるらしい。
 二人仲良くテレビの前に座り、何処かで見たことあるような格闘ゲームをしていた。





 どんどか、じゃんじゃん、ずどーん。



 電子生まれの激しい打撃音。
 繰り返し明滅する、発作を起こしそうなプラズマ。

 ……うーん、盛り上がってるなあ。

 藤ねえに付き合ってるだけかと思ったら、セイバーもやけに真剣だ。
 武闘派の英雄だけあって、勝負事に熱くなるタイプなのかもしれない。
 このところ俺もあまり付き合ってあげていなかったから、いい遊び相手が見つかって藤ねえも実に楽しそうだ。
 盛り上がっているところに水を差すのも何だし、このまま放っておくか ―――――― って!

 呼吸が止まる。
 セイバーを見てあることに気づき、俺はぎょっとした。

 アイツ……!


「あのさ、セイバー」

「む―――、シロウ、どうしましたか? もしかして、もう夕餉の支度を終えましたか?」

「いや、俺は桜と交代しただけだから、晩飯はもうちょっとかかる。そんなことより―――」


 ドウシテ貴女ハ武装シテイルノデスカ?


 藤ねえがいる手前、とっさに口にしかけた言葉をぐっと飲み込む。。
 視覚的にもはっきりわかる力の入り様。
 今のセイバーはさっきまでの制服姿ではなく、青衣銀鎧のフルアーマーセイバーだった。
 白銀のプレートメイルが照り返す光が、じつに目に痛い。


「え―――と、もう少し落ち着かれたらどうでしょうか。たかがゲームなわけですし……」

 正座して熱中している凛々しい正装のセイバーに向かって、そっと提案した。が、


「何を言ってるのですか、あなたは。
 たかがゲームと言いましたが、それは間違いだ。勝負に貴賎などありません。
 この戦い、タイガとおかずを一品、賭けている。
 私に自ら勝負を捨てるような選択肢は存在しない」

「そーよ、邪魔しないでよ、しろー。これで投了になったら、後で酷いんだから」


「……………………」

 俺の言葉は届かないようだ。
 まあ、肝心の藤ねえが気にしてないのか、もしくは気づいてないみたいなので、大丈夫と言えば大丈夫なのか。
 …………。
 本当に、それでいいのか……?



「見ていてください、シロウ。この勝利、貴方に捧げます!」

「あ―――うん、期待してる」


 捧げるって言ったって、賞品<おかず>を俺にくれるって意味じゃないよな。
 むしろ「勝ちました。褒美をください」と俺の分まで持っていってしまいそうな勢いだ。
 少なくとも、負けた方には俺の分をある程度わけてやらなきゃ、おさまりつかないだろう。
 仕方ない…………この、欠食児童どもめ。




 俺がそんなことを考えている間にも、二人の対決はいよいよ佳境に突入しようとしていた。
 セイバーが己の分身として操るキャラが、真っ向勝負で突き進む。

「はっ……!」

 絡めて無し、心理戦無しで、己が反射神経だけを頼りにしたじつに彼女らしい戦い方だった。
 コマンド技もまったく使わない、というより、おそらくは知らないか、覚えきれなかったのだろう。
 しかし彼女の能力を考えれば、小手先の業を駆使するより、むしろそれがベストかもしれない。

「ふふふふふ」

 対する藤ねえは、セコい。まったくもって、セコい。
 一見無意味とも取れる行動のすべてが布石で、向かうところ罠だらけ。
 とはいえ、もともと上級者向けのそういう性質のキャラを使っているので、責められるべき戦術ではない。
 大人気ないという点では変わりないけど。
 そしてこれが意味するのは、藤ねえはこのゲームをかなりやり込んでいるということでもある。
 玄人な先読みで、常人離れしたセイバーの動きを次々と潰していた。
 藤村、自重しろ。



「クッ――――――今は貴女の方が強い」

 善戦しているが、現実<リアル>ならいざ知らず、 やはりこの仮想空間を知り尽くしている藤ねえが一歩抜き出ている。
 画面を見れば経過は明らかで、残存体力は大きく水を開けられていた。
 これは仕方ないだろう。
 ついつい忘れがちになるが、もともとセイバーは千五百年近く前の時代の人である。
 先進技術の落し子とも呼べるデジタル娯楽に、早々と対応できるほうがおかしい。
 仮にテレビを指差して、
『大変です、シロウ。小人が箱の中に閉じ込められています』
 なんてボケをかまされても、俺は彼女を笑えない。
 本来ならば、そのぐらいのカルチャーギャップがあってしかるべきなのだ。
 偉大なり、聖杯。
 しかし、知識はあっても、体験することとは、また別。
 経験という名の溝は、そう容易く超えられるものではない。


 ――――――が、それを凌駕してこそ、剣の英霊。



「かかりましたね、タイガ」

「―――っ!」


 セイバーのキャラの動きが今までと違う。
 常にショートレンジを仕掛けていたセイバーが、唐突に、ここで大きく距離を離した。
 予定外の行動に、藤ねえのキャラのリズムが崩れる。

「これは!」

 絶好で絶妙なタイミング。
 まさか、アレを使う気なのか。
 俺のモノローグ解説に応えるが如く、セイバーは大きく腕を振り上げ、



「 約 束 さ れ た<エクス>  ―――――― 」



 ……いや、それは違う。
 違うけど、感覚的にはそれに近いものだ。セイバーは一発逆転の大技を繰り出そうとしている。
 一瞬、宝具の真名を口にしていいのかと下世話な心配が頭に過ぎったが、 ここは前後の脈絡や因果のない異空間だと諦めて忘れることにする。
 考えたら負けだ。

 ともあれ、うまく当てることが出来ればセイバーの勝ち。
 反面、凌がれたらカウンターの餌食となり、勝利は藤ねえに転がり込んでくる。
 どちらにせよ、これが最後の攻防となる。



「 ―――――― 勝 利 の 剣<カリバー> ―――!」



 もはや、何もつっこむまい。
 収束し、回転し、臨界に達した光の束がモニターの奥で花開いた。
 コントローラーを持つセイバーの手が振り下ろされ、ついに切り札が発動する。
 そして、



「セイバーちゃん、よもやそこま、ガ―――」

「え―――――― きゃぅっ!?」






 …………………………
 ……………………
 ………………
 …………


 無駄にアツい戦いの幕が下りた。
 残ったのは静寂。
 エクスクラメーション五割増でお送りした対決であったが、そのあり得ない結末に俺は言葉を喪うのみ。
 争い事は何時の世も無益で無残であるという教訓が、深く胸に刻まれる。

 結果を言おう。

 どろー。
 両者、のっくあうと。

 代理たる二名は棒立ちであるも、臨戦体勢のまま、訪れることのない決着を俯瞰していた。
 つまり問題はディスプレイのこちら側で、虎と獅子が仲良く倒れ伏している。
 操作する人間が再起不能ならこの勝負、当然、引き分けである。

「……………………」

「……………………」

「…………やれやれ」




 この終局に至る経過はこうだ。

 前提として先ず、セイバーの戦闘スタイル ――― キャラの動きではなく、ゲームに挑む本人の挙動を説明せねばなるまい。
 早い話、彼女は体を動かしてしまうタイプであった。インドアの娯楽なのに、それはもう、アウトドアな雰囲気を醸し出す律動体操である。
 帯剣してないとはいえ、彼女は筋肉<バーサーカー>を三枚におろした実績を持つ洋の鉄人で、
 内心、ぶん回す腕が真横の藤ねえに当たりやしないかヒヤヒヤものだったが、結果的に当たってないので、それはいい。

 しかし、忘れてはならない。
 セイバーは決して無手ではなく、その小さくて凶暴な手のひらにはコントローラーが握られている。
 我が家がワイヤレスなどという上等なものに投資してるはずもなく、もちろんそれは一本のケーブルでゲーム機本体と繋がっていた。
 敢えてこの場の勝者を上げるとすれば、彼(?)だろう。
 勝敗を決する最後の局面、セイバーの力みと大きく腕を伸ばしての屈伸運動は頂点に達し、そして、

 飛んだ。

 振り下ろした腕に合わせ、重力とか慣性とか赤方偏移とかその他様々なものを凌駕して、ゲーム機本体が飛んだ。
 人類の夢を乗せて、そのレアメタルっぽいものが詰まった物体は、吸い込まれるように虎の鼻先へ向かう。
 直撃だった。
 剣道五段の腕前は不意打ちの強打に対応できず、哀れ、藤ねえは一撃昏倒の憂き目に。
 このまま終わっていれば、形はどうあれ、セイバーの勝ちに終わるはずだったが、げに恐ろしきはロープマジック。
 ケーブルが藤ねえに絡まり、ついでに何故か立ち上がっているセイバーにも魔手を伸ばし、彼女を道連れにする。
 後ろに倒れる藤ねえと連結、連動、連鎖し、セイバーもほぼ同タイミングですっ転んだ。
 ちょうどベストなポジションにちゃぶ台の角があり、ごがっ、と、ヤな感じの音がして、後頭部を強かに打ったセイバー。
 後は言うまでもない。
 二人は仲良く、夢の世界へ旅立った。

 ―――と、以上が事の概要で、すべては一瞬の出来事であった。



「ふう」

 俺は溜息を吐いた。
 たまたま打ち所が悪くて気を失ったが、二人とも体は頑丈なので、たぶん大丈夫だろう。
 じっとしてても意識が戻りそうにないので、俺は二人の介抱に動く。
 まずはセイバーを抱き起こそうとする。と、


「士郎殿」


 不意に呼びかけられた。
 声はすれど姿は見えず―――となると、その声の持ち主は決まっている。


「ハサン? どうかしたか?」

 俺は当てずっぽうで、だいたい天井の東隅あたりに向かって訊いた。答えは即座に返ってきた。


「セイバーが昏倒している。倒すなら今が好機」

「む」


 言われてみれば、その通りだ。
 まともにやらなくても勝てそうにない剣の英霊が、まさに無防備状態で食卓に上がっている。
 そういえば、サーヴァントって物理ダメージを受けないじゃなかったっけ?
 それとも実体化してる時は別なのか?
 まあ、深く考察する場面でもないので、この際、年代モノのちゃぶ台だから、とでも思っておくが。
 そんな感じで現状確認し、たっぷりと十秒ほど待ったあと、


「どうする?」


 と、ハサンが訊いた。

「…………」

 どうする?ったって、どうしようもないよな。


「やめておこう。武士の情けだ、勘弁してやってくれ」


 こんなところでリタイヤなんてことになったら、俺は末代まで祟られる。
 セイバーの両肩を掴んで前後に揺らしながらハサンに言った。
 コレはまるごと削除しても問題ないシーンであるべきなのである。



 蛇足ながら、俺の意向に頷いたハサンも二人の介抱を手伝ってくれた。
 戸棚の十センチぐらいの隙間から腕だけ伸びてきたのはホラ話、ならぬ、ホラーな話だった。














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