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 薄暗い室内で男が一人、柔質のソファに身を委ねていた。
 男の私室は、陰鬱でありながらも荘厳。退廃的でありながら清涼。
 華美こそ削がれているが、閑素幽栖とも懸け離れている。
 四方に窓はなく、行き場のない重い空気が堆積し、対流していた。
 部屋は持ち主の人となりを映す鏡であるという。
 だとすれば、この男の在り方は―――、


「随分とご機嫌じゃねぇか、言峰」


 寛ぐその男に、声をかけた者がいる。
 両の腕を胸の前で組み、傍らには赤く血で濡れたような魔槍を携える蒼身。
 己がマスターを徒や疎かに見据えていた。


「ランサーか ――― 私はそう見えるのか?」


 言峰は自らの手駒の一とするサーヴァントに声をかえ、問う。


「ああ、見えるね。そりゃ何か、悪巧みしている時の顔だ」

「くくっ、そうかもしれんな」

 ランサーの皮肉を事も無げに笑いが流し、あらためて正対する。


「―――では、報告を聞こう」











   Faceless token.     07 / Contrast









 ランサー。
 古代アルスター神話に籍を置く光の御子。槍の騎士を担うサーヴァントであり、その真名はクーフーリンという。
 普段は明朗快活な美青年であるが、一度戦闘ともなると、その姿は一変。
 身体が激しく震え、片目は爛々と燃えるように輝き、髪の毛は針の様に立って血がしたたり落ちるとまで言われている。
 一方で、ただ血に酔い破壊に狂う戦士というだけでなく、十八の原初の呪刻を操る器用さも兼ね備えていた。
 日本での知名度こそ低いが、当地アイルランドでは今尚根強い崇拝を受ける半神の英雄である。

 そのランサーは、現在、言峰のサーヴァントをしていた。
 『現在』とあるのは、言峰は二人目のマスターに当たるため。
 嫌悪を抑えつつ、ランサーは義務的に言峰の詰問に答えた。



「――― 報告ったって、長々と話すことは無いぜ。"サーヴァントはいなかった"と、これだけだ」

「……間違いないのだろうな?」

「疑うってのか? いくらテメェが気に入らないからといっても、オレは仕事に手は抜かないぜ。
 付近一帯の探索にルーンまで使ったんだ。サーヴァントはいない。少なくとも、教会の近くにはな」

「ふむ……」


 士郎がマスターだと分かった際、言峰はランサーに、念話で「サーヴァントを探せ」と命じていた。
 マスターが行動する場合、護衛にサーヴァントを連れ歩くのは常識といっても言っても過言ではない。
 監視の目を怖れ、教会から離したにしても、そう遠くない場所に控えているはず。
 だというのに見つからないのは、本当につれていない ――― 単純に素人で、無警戒にサーヴァントを置いてきたか、或いは、


「ランサーの能力では探し出せなかった、か」


 主の言葉に、蒼い槍兵は舌打ちする。その姿を見て、言峰は笑った。


「そう、自分を卑下するものではない、ランサー。
 消去法で考えれば、残っているサーヴァントは"アサシン"ということになる。
 アサシンは高い気配遮断能力を有するクラスであり、よっておまえが察知出来なくても不思議はない」

「………………」

「特殊クラスが召喚された可能性が無いことも無いが、確率からいってアサシンに間違いないだろう。
 ある意味、おまえが見つけ出せなかったことで、半ば裏付けが取れたとも言える。
 おまえはおまえの仕事を果たした。誇るといい」

「ケッ、本心じゃねえだろ、ソレ」


 労いの言葉を期待していたわけではなかったが、言峰の口からこういった麗句が出たのは意外といえば意外。
 上機嫌であるのは、当たらずとも遠からずといったところか。
 どうせロクでもない理由だろうがな、と、ランサーは穿った見方して、愚痴るのも忘れないが。



「……にしても、言峰。おまえ、あっさり帰しちまったみたいだな。いいのか?」

 部屋隅から動かぬまま、今度はランサーが言峰に訊いた。

「あの坊主、マスターだったんだろ。
 オレはてっきり、何も知らない坊主を、後ろからバッサリ ――― と、殺るんだとばかり思ってたぜ」

 バゼットの時みたいに、と、槍兵は内心で歯を噛む。

「…………何か勘違いしているようだな、ランサー。
 私の役割は聖杯の持ち主に相応しい者を見極める事。<プレイヤー>になることは本意ではない」

「だったら―――」

「おまえの"元"マスターは聖杯を得るに足る人物ではなかった。運もなかったのだろう」

 加害者がいけしゃあしゃあとそんなことを言う。ランサーは不快感に顔を歪めた。

 騙す騙されるは戦場の倣い。
 油断した方にも落度があるとはいえ、実際、あまり気分のいいものではない。

 ――― ああ、そうだろうとも。こんな下衆野郎と知り合いだったのは、この上もなく不運だったな、バゼット。

 そして、本当に不幸なのは、そんなヤツに従う羽目になった自分かもしれない、と、ランサーは自らの境遇を呪う。



 ランサーは最初のマスター、バゼット・フラガ・マクレミッツなる女魔術師に、特別な思い入れがあったわけではなかった。
 そもそも、思い入れが出来る前に、彼の前から姿を消してしまった。
 言峰が、旧知の間柄であるのをいいことに、彼女を呼びつけて欺き、令呪ごとランサーを奪ったのである。
 すぐに主換えを強要されてしまったので、その後のバゼットがどうなったのか、消息はおろか、生死すらランサーは知らない。
 訊ねても、言峰から返ってくる言葉は、おまえには関係ない、と、その一点のみ。惜別を悔やむことすら赦されなかった。

 そんな経緯もあって、この主従には信頼関係と呼ぶべきモノがなかった。
 険悪と置き換えてもいい。
 ランサーはかつて、赤枝の戦士団の筆頭、アルスター王コノールに仕えた誇り高き騎士。
 噛ませ犬のような扱いに憤りを感じているものの、主には忠実であるとする誓いがあるため、表面的には付き従っている。
 言い換えれば、令呪の束縛あってこその隷属で、心情的には完全に剥離している。
 一方のマスターである言峰にしても、ランサーに便利な道具以上の価値を期待していない。
 双方、水面下で腹の探り合いがあることを承知している、そんな薄氷上の主従関係だったのだ。




「それはそれとして、アサシンの力量についてはまだ未知数。おまえにはもう少し働いて貰う」

 言峰は、宙に泳がせていた視線の焦点を佇むランサーに絞り、静かに命令を下した。

「おいおい、オレは重傷だぜ。セイバーにやられた怪我が回復しきってねえ」

 と、当然の如くランサーは反論する。
 表面こそ取り繕っているものの、その裏では実力の半分も出せないほど、槍兵は疲弊していた。
 完全回復までは、最低限、あと一両日はかかるだろう。
 そのことは言峰もわかったいるはずなのだが、

「臆したか、ランサー」

 敢えて苛立たせ、挑発するような言葉を吐いた。


「チッ ――― そうじゃねえ。ああ、どうしてもやれって言うなら、やってやるさ、そりゃ。
 でもな、こっちは『倒すな』と令呪に縛られちゃいるが、向こうは違う。仕掛けりゃ、殺る気で攻撃してくるんだぜ。
 できれば万全の態勢で、と思うのが普通だろ」

 ランサーは言峰の嗜好に沿う素直な反応でこれに答えた。

「だいたい、手が空いているんだから、アーチャーのヤツにやらせりゃいいだろ」


 ランサーが不機嫌であることの、もう一つの理由がこれである。
 言峰は槍兵以外に、アーチャーという手駒をも保有していた。
 セイバーの手から逃れて教会に戻ってきた際、偶々言峰の側にいた男が見知らぬサーヴァントであったことで、これが発覚した。
 隠す必要性はないが、明かす必要性もない。
 おそらく、そういう事態が無ければ、聖杯戦争が終わるまでランサーに知らされることはなかっただろう。

『おまえは全員と戦え。だが倒すな。一度目の相手からは必ず生還しろ』

 令呪によってランサーに告げられた、一見、不自然とも思える命令。
 選定役だからとの飾った言い分はさておき、マスターならば倒せる時に倒しておくと考えるのが普通。
 よって、その命令は理不尽極まりないものだった。
 だが、もう一枚、切り札があるというなら話は別である。
 要するに、斥候を命じられたランサーはアーチャーのための捨て駒。文字通り、噛ませ犬である、と。

 ぎしり、と、強く奥歯を噛む。
 ランサーがサーヴァントに身を落としたのは、聖杯で叶えたい望みがあったからではなかった。
 生前にやり残したこと。勝敗に関係なく、死力を尽くした戦いがしたい、と、ただそれだけの目的で彼は現界した。
 しかし、ただそれだけのことですら封じられているのが今の彼。
 心中、穏やかとは言い難く、腐るのも無理なかった。


 ランサーの戦闘放棄とも取られかねない言及に、言峰は「そうか」と呟く。一拍置いて、


「何も今すぐ動けというわけではない。仕掛けるタイミングはおまえの判断で構わんよ。
 それに、アーチャーは動かせない。アレは今、別件で動かしているからな」

「別件? 何だそりゃ?」

 当然、ランサーにとっては初耳のことであり、言峰に訊ねた。
 言峰はいつものように、何一つ感情が込められていない声で短く説明する。


「バーサーカーが敗れた。マスターは不明だが、おそらく生きてはいまい」


「―――! バーサーカーが負けただと? いつ、誰にだ?」


「偵察役であるおまえが知らぬものを、私にわかるわけがないだろう。観測によって、敗れたという事実を知るだけだ。
 ただ、何時であったかはわかる。昨夜、おまえが逃げ帰ってきたすぐ後のことのようだ」

 ――― もう逝っちまったのか……

 過ぎったのは感傷というより、後悔の念に近い。
 ランサーはバーサーカーの存在は知っていたものの、まだ直接剣戟を合わせるところまでいかなかった。
 言峰の言葉が真実ならば、その機会はほぼ永久に失われたに等しい。彼の後悔とはそれに尽きる。
 しかし、解せないことが一つあった。


「わからねぇな。どうして、それでアーチャーを動かす必要がある?」


 今回のバーサーカーは、過去数回を鑑みても、間違いなくトップクラスの力を有する強力無比なサーヴァント。
 だが、それでもあくまで、七体いるサーヴァントの一柱に過ぎない。
 最後の一体になるまで戦う以上、バーサーカーの退場も七分の六の確率で生じる結果でしかないはずだった。
 だというのに、この悪徳陰険神父は、それを只ならぬ事態として受け止めている。
 己が絶対の切り札を切るまでの理由とは、いったい何なのか?


「そうか……、知らないのだったな」

 くくっと言峰は笑う。

「? 何のことだ?」

「おまえには関係のないことだ。聖杯を欲さぬおまえにはな」


「…………ああ、そうかい。そうだろうとも」


 忌々しげに舌打ちしながら、己がマスターの姿を視界に留めることすら不快と、ランサーは身を翻した。
 関心がないといえば嘘になる。
 が、それ以上に、いい加減、言峰の長口に耐えられなくなってきたランサーは、自分から機会を放棄した。
 関係ないというのだから、確かに自分には関係ないのだろう、と。
 それを美徳と呼んでいいものかわからないが、言峰は嘘だけはつかない。
 嘘に誘導することはあっても。


「オレの判断で動いていいと言ったな。だったら、好きにさせてもらうぜ」

 振り向かぬままランサーは言った。

「ああ、構わんよ。但し、『倒すな』の条件付きだがな」


 と、言い切ったところで、不意に室内の空気が変わった。
 当てられただけで圧死しかなねい暴力的な気炎が、一つのベクトルに指向する。
 それを発したのはランサー。
 殺気と呼ばれるもの。
 伝説そのままの、燃え沸き立つ瞳を背後に向けた。

「言峰 ―――」

 憎悪に打ち震える身体。
 しかし、凶つ血槍の切っ先は、ぴたりと言峰の背中、数センチのところで静止した。
 普段の飄々としたものではない、地の底から響く声が軋み鳴く。


「最後の令呪が潰えた時、この槍は必ずおまえを穿ち、呪い殺しに行く。それを忘れるな」


 憎悪を喜悦に、不快を愉楽の糧とするこの男に、脅迫がどれだけの意味を持とうか。
 己に向けられた殺気が本物であること知って尚、言峰は悠然としていた。


「話はそれだけか。用がないのなら下がりたまえ」



 言われるまでもない、と、ランサーは荒々しく部屋を去る。
 残されたのは言峰綺礼。
 遠ざかる足音をBGMに、グラスに注いだままになっていた葡萄酒をゆっくりと傾けた。

「ランサーには聖杯に依る業がない。故に伏せたが ―――」

 誰にあてたものでもない独白を混じえながら、言峰は先程までのやり取りを回顧する。

「話せば話したで、見物だったかもしれんな……」

 と、薄く嗤う。


 問題はバーサーカー本体にあるわけではなかった。
 そのマスターであったアインツベルンの少女 ――― 聖杯となるべき器の消失にある。
 ランサー含め、大多数の参加者は、聖杯は願望器、との、表向きの喧伝を餌に招かれた者たちだった。
 それが失われたというのは、争う意味合いすら揺るがしかねない、不測の事態ということになる。

 いや ―――

「単純な男だからな……己が存在理由<レゾンデートル>さえ無用と断じるだろう」


 それでは詰まらない、と、言峰は考える。
 やはり、穢れた聖杯に癒しと救いを求め、乾き、足掻き続ける羊たちのもとでなくては、と。
 そして、ランサーのことはすぐに頭の端から追い出す。
 思索に沈み、更なる笑みを深めた。
 ……そう、上機嫌なのは錯覚ではなく、本人が自覚するぐらい間違いのない話。
 彼の昏い欲望を満たす、最上の玩具の存在を知ったのだから。



「さて ――― そろそろマキリの老体が動き出す頃合か……」


 男の夢想は闇に溶けた。










   …









 帰路。
 教会の外に出ると世界は既に黄昏時で、空全体が茜色に塗り潰されていた。
 来た道を戻る。
 俺たちは今、歩道橋を渡り、川縁の公園を歩いていた。

 もともと人気の少ない場所である。
 加え、どうやら時間帯もうまくはまったらしく、見渡すかぎり人影はなかった。
 おかげで、往路ではまったく姿を見せなかったハサンも、今は先導するように前を歩いている。
 その影を目で追いながら―――追っているだけで見えておらず、自然、歩く動作が機械的になった。



『―――― 喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う 』

 違う。


『――― サーヴァントを信用するな』

 違う、……のか?



 神父が発した言葉は絡み付いた血のように離れず、俺の頭の中でリフレインする。
 まして、世界を赤く染め上げる夕焼けのフィルター。
 それは幾度となく見た夢を喚起させ、俺を思考をネガティブな方向へ追い落としていた。




「なあ……ハサン、訊いてもいいか?」

 内奥で思い詰めるだけは拙いと、賭して俺は黒い背に声をかけた。
 前方を向いていた白い仮面がくるりと回頭、ハサンは此方を窺う。言葉こそないが、話を聞くという素直に意思表示。
 それを承諾と受け止めた俺は台詞を紡ぐ。


「サーヴァントは『魂食い』だと神父は言っていた。これは本当なのか?」

「―――」

 質問の意図が計りかねたのか、ハサンは少し小首を傾ぐも、隠すようなことはない、と、いつも通りの律儀さで、これに答える。


「サーヴァントは物質化した塊そのものであるから、あながち間違いとも言い切れない。
 魔力を得るために人を襲うサーヴァントは、少なからず存在を仮定できる。それを指しての揶揄だろう。
 単純比較として、抱え込む魔力量は多ければ多い分だけ強いと言える ――― が、媒介を持っていればの話であるが」

「媒介?」

 こくりと頷いた。

「いくらサーヴァントでも、まるごと呑み込めば済むというモノではない。
 例えば一般的な食物摂取を例に取ると、養分とするには先ず調理があって、飲み下した後も体内で幾つもの工程を経る必要がある。
 サーヴァントの場合もこれと同じ。他者の生命力を魔力にするには何かしらの魔術か、それに類する機構が要る。
 自身が魔術師であるキャスターを除き、それはむしろマスターの役割と見ていいだろう。
 基本はマスターからレイラインを通じての供給であるが、他にも魔力を得る方法はある。わざわざ人を襲って見つかる危険を犯すことはない」

「他の方法って、例えば、どんな?」

「………………」

「?」

「……いろいろ」

「いろいろ、か」

 何を知っててはぐらかしたのではないかという気がしたが、話の筋と関係なさそうなので、取り敢えず今は突っ込まないで置く。
 マスターの役割ということは、つまり俺の役割なわけで、窮するの自分自身だし。


「――― しかし、中にはマスターに頼らず、単独で魔力補給を行えるサーヴァントもいるかもしれない。
 仮定したのはその部分。生前からその手の趣向を併せ持つ輩。分かり易いところで、吸血趣味がその代表といえる。
 英霊だからといって、必ずしも善を向いているわけではなく、むしろ血を好むからこその英雄だろう」


 ……結局、ゼロではないということか。

 目的が魔力でも趣味でも、そのことで一般人が犠牲になるという結果は同じ。
 ハサンの論説はいつもながら冷徹で、軽はずみに例外を例外として処理すべきではないと訴えかけてくる。
 そして俺は、いちばん訊きたいことを、訊かなくてならないことを口にした。


「ハサンは……その、どうなんだ?」

 聖杯戦争を生き残るという名目で、見知らぬ誰かを犠牲にする非道を是とするのか。



「わたしか……わたしに魔術は無理だが――― 、自己改造なる技能を持っているのは、知っての通り、否定できないな。
 広義において、他者を搾取し、力を得るのが『魂食い』なのであれば、わたしほどそれに合致する存在はないかもしれない。
 実際、こうして士郎殿と話ができるのも、バーサーカーのマスターを"喰った"結果であろう」

 おそらく、ハサンは俺の本意を悟った。

「 しかし、"出来る"のと"する"のとでは、また別なことであると言って置く。
 わたしは暗殺者。人から嫌悪と侮蔑が向けられるのは当然であるし、自分でもそれが正しい評価であると思う。
 ――― だが、殺人鬼ではない。ただ、それしかできないというだけで……」


 俺が一般人を犠牲にすることを望まず、かつ止めようとしさえしていることを、ハサンは知っている。
 知っているから、自身の在り方を引き合いに、ハサンは少し物騒な台詞を並べ、俺の憂き事が杞憂であることを説明した。


「……ごめん、傷つけてしまったなら謝罪する」

「いや、謝らずとも……ただ、わたしは―――」

 自分がよくわからないから。

 と、声と呼べない程度の呟きが残響したのを最後に、会話は途絶えた。
 無言のまま、行歩が再開される。





 ……俺は疑っているのだろうか。

 ハサンを、ではない。


 俺がしようとしてることはまったくの見当違いで、抱いた理想はひび割れているのではないか。
 ……その考えを振り払えない。

 たぶん、それは俺の心の弱さ、未熟さから来るもので。

 だから。

 仮にハサンが俺を見捨てたとしても、

 それは、





「――― 士郎殿」

 気づけば、訝しげに注がれた視線。
 声に導かれて前を向く。
 ハサンが此方を、後ろを向いて俺を見つめていた。
 何時の間にか、俺は立ち止まっていたらしい。


「すまない。大丈夫だから、先に行ってくれ」

 正視に耐えれなくて、前を向くように促した。


「………………」


 直ぐの動きはなく、ハサンは何かを思案し始めた。

 ―――と。
 もしかして、はじめて俺の言葉に逆らったのではないだろうか。
 指示とは逆方向を、つまり、俺を目掛けてすたすたと近づいてきた。
 で、
 ハサンは長くない方の左手を、すいっと伸ばした。


「――― 手」

「て?」


 奪った心臓の影響を受けたということらしい、まるっちい手のひらが目の前にあった。
 つられて俺も、何となく右手を差し出してみる。
 すると。
 逃がさぬとばかりに、素早く掴まれてしまう。そして、

 ぶんぶん。

 ふるふる。

 ハサンは掴んだ手を縦に動かし始めた。


「…………」

 わりと熱心に振るっている。

「…………」

 振り続けてる。

「…………」


 なに、これ?



 ああ、これってアレだ。
 ハサンは中東の出身だから、そのへんで伝わる儀式っぽいモノかもしれない。
 日本人はあちらの文化に馴染みがないから。
 たしか、断食とかも向こうの風習だっけ?
 ……などと、よくわからないモノを、よくわからない分野に放り込んでみたものの、解決になってない。
 当たり前だ。
 言わなければ延々と続けそうなので、意を決し、訊ねてみる。
 と、意外な答えが返ってきた。



「む ――― 見ての通り、握手だが」




 ………………

 …………

 ……なるほど。

 着眼点を下手に遠いところに置いたことが盲点。所謂、灯台下暗しというやつだ。
 互いに差し出した手は逆、一方的に掴まれていて、かつ、拙く振り回しているだけだけど、確かにそう見えなくもない。
 そうか。
 これって握手だったのか……



「――― ぷっ」


 毒が抜けた。



「むぅ、約束事の際はこうするとあったのに……違う?」

 少し拗ねた口調で愚痴るハサン。
 本人は至って真面目なのに、肝心の俺が笑いを堪えているのだから、無理もない。

「いや、間違ってないぞ。たぶん」

 一応、フォローを入れた。
 我ながら説得力のない言葉だと思っていたら、やっぱりハサンは仮面を斜めに傾げた。
 その仕草が、さらなるツボを刺激する。
 仮面の無機質さが、逆に可笑しい。
 ふむ。
 気づいたのだけど、普段のハサンは妙に堅苦しい喋り方、である。
 しかし、不意の場面で、そこに幾らかの感情が混じると、無意識に、高いソプラノ音質に馴染んだ語り口へ変わってしまうようである。
 声自体は借り物なので、どちらが地なのかわからないが、ちょっと不気味と形容されるアサシンのイメージは、それでガタガタである。

 どうしてハサンが、この、唐突とも言える行動を取ったのか、だいたいは予想つく。
 ハサンは俺の内々の葛藤まで知らない。
 だから、俺がすっきりした態度に出ないのを、それまでの話の延長上にある問題と考えた。
 言葉だけでは足りぬと、馴れないことをした。


「ありがとう、ハサン。おかげで直った」

 心を込めた謝辞を送る。

 ……俺はバカだった。
 神父とハサン。どちらを信用するかなんてことは、分かり切っているではないか。

 さっきまでの吐き気と胸のもやもやは、それでキレイに消え去ってくれた。



「―――? 礼は礼として受け取っておくが、この場合は……」

「ああ、そうだな。うん、ハサンを信じる。信じるって約束する。それから―――」

 手首を曲げ、俺の方からも握り返す。
 そんな不器用さが、むしろ俺たちらしいとも思った。


「未熟なマスターだけど、これからもよろしく頼む」

 数度振って、握手を解いた。













 ――― と、今日という日がこれで終わってくれたなら、きれいに纏まったのだけど、




「止まれ! マスター」


「え?」


 内容を把握するより先ず、強硬なハサンの声に驚いてしまって、足が止まった。
 道中、川縁の道を半分ほど踏破したあたりのこと―――
 見ると、ハサンの手には短剣。まるで戦闘中であるかのように、張り詰めた空気を纏っていた。

「いったい何が?」

 と、訊くと、

「結界が張られている。それより前に踏み込めば、敵マスターに気づかれるおそれがある」

「―――!」

 反射的に足元へ目がいった。

「一般人の立ち入りを阻む、人払いの結界だ。
 先程から人気が無さ過ぎるのが気になってはいたが ――― どうやら、恣意的なモノであったようだ」

 非日常に迷い込んだ、昨夜と同じ状況。
 違うのは、隣にハサンがいて、未然に介入を防いでくれたということだ。

 日が沈む。
 長い夜の訪れ。

 人の手に余る化外が跳梁する世界。
 夜こそがその始まりなのだ、と、自覚し切れていなかった俺は、やはり未熟者なのだろう。
 しかし、いったい誰が?

「あそこだ」

 自力で見つけ出す前に、ハサンが指し示した。
 指先の向こう ――― 川の対岸に、長い髪を左右で縛り揺らす、見覚えがありすぎる少女がいた。
 遠坂だ。
 そして、さらにその視線の先にある川の中洲に立ち、完全武装で対峙する二つの騎影。
 一方は初見。剣を構えていた。
 クラスまで特定できないが、現代人とは思えないエキセントリックな服飾は、明らかにサーヴァント。
 勿論、それに立ち向かうのは、


「セイバー」

 夕光を受けて輝く騎士の少女が屹立している。
 その姿を純粋に美しく貴いと感じ、俺は少しの間、自分の立ち位置をも忘れて見惚れた。


「幸い、既に戦闘態勢。下手に手を出さなければ、気づかれることはないだろう。このままじっとして、やり過ごすのが賢明であるな」

 ハサンの言葉で我に返った。
 ……そうだった。
 聖杯戦争を戦うにあたり、午前の打ち合わせで決めた方針は、何もしないこと。
 いきなり破ってどうする。
 昨夜のこともあって感情移入があるのか、自然、遠坂サイドに立って、ともすれば援軍に、とまで行きそうだった自分を抑える。
 いくらなんでもそれは、ハサンに対しての信義に反するだろう。
 大きく深呼吸して、身を落ちつかせる。


 セイバーが動いた―――
 容赦ない剣勢を振るう。奮う。一度の踏み込みで絶え間なく、視えない刀身を閃かせる。
 これに対し、相手サーヴァントは避けるのではなく、受け流す選択を取った。
 剣戟が激しいビートをかき鳴らす。
 攻勢に出るセイバーは疲れを知らず、守勢に回る方も不利というのではなく、隙を窺っているだろう。
 このまま攻防が入れ替わらぬまま戦闘が続く。
 やがて、セイバーが一際大きく振りかぶった剣を叩き落した。
 敵は応え、受け止めたあと、強引に押し返し、弾き返した。
 セイバーの小柄な体が宙を舞う。
 凄まじいまでの豪腕 ――― いや、セイバー自身が敢えて飛んだ分もあったか。
 二人の距離が、一足飛びでは詰めれないほど離れた。



「大きいのが行くぞ」

 ハサンが言った「大きい」の意味。
 聖杯戦争に関わる者なら誰でも察することができる、サーヴァントの切り札。

 着地したセイバーの剣は、既に風が解けていた。
 はじめて見た抜き身の刀身。
 ただそれだけに止まらず、星の輝きがセイバーと、セイバーの剣に集い、世界を照らす。
 ……掲げた。




『 約 束 さ れ た<エクス>  ―――――― 』




 万言を尽くしても形容しきれない、最大級の神秘、最強の幻想<ラスト・ファンタズム>が、





『  約 束 さ れ た 勝 利 の 剣<エクスカリバー>  ―――――― ! 』




 ここに、放たれた。



 もはや斬撃とは呼べぬ光の帯が、地を割り、空を裂き、衝き轟く。

 宝具が使われること。
 迎え撃つ相手サーヴァントも、それを読み切っていた。
 後は力勝負。
 ほぼ同時のタイミングで、こちらも真名を開放していた。


―――――― 七枚の花弁が開く。





『  熾 天 覆 う 七 つ の 円 環<ロー・アイアス>  ―――――― ! 』














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