『  約 束 さ れ た 勝 利 の 剣<エクスカリバー>  ―――――――――――― ! 』





                                    『  ―――――――――――― 熾 天 覆 う 七 つ の 円 環<ロー・アイアス> ! 』





 収束し、回転し、臨界に達する星の光。
 セイバーの剣から放たれた光弾が、視界を灼いて、地を拓いた。
 相手のサーヴァントもまた真名を開放し、七枚羽の盾を軌道上に展開する。

 ――― 衝突の瞬間、世界が爆ぜた。











   Faceless token.     08 / Shade









「――― かろうじて止めたか」


 ハサンの言葉を受けて状況を確認、視線を向ける。
 見ると、触れる物を例外なく切断する光の刃は、盾を起点に割けていた。
 敵はまだ存命しており、均衡している。
 戦闘は力比べの様相を呈し始めていた。
 ……アレを止めたのか。
 相手サーヴァントが引き上げた盾も、また、一端の宝具である。
 俺は見た瞬間に、それが何であるかを理解していた。

 熾天覆う七つの円環<ロー・アイアス>

 もとはトロイア戦争において大英雄の投擲を防いだという、七重、皮張りの盾。
 開いた花弁が如き形であるのは、かつて担い手が死に際し、流した血から、アイリスの花が咲いたという伝説に由来する概念なのだろう。
 七つの守り、その一枚一枚が古の城壁に匹敵し、投擲及び使い手より放たれた凶器に対してならば、ほぼ無敵を誇る結界宝具。
 最強の剣を相手に止めたのは、名に恥じぬ功績と言えるが ―――



「もって十数秒。勝負あったな」


 忌憚のない分析に基づき、ハサンが予見した。
 見れば分かる。
 一瞬の蒸発は避けたものの、盾には剣圧の負荷で無数のひび割れが走っていた。
 こうしてる間にも花弁が一枚砕け散り、大気に溶けた。
 残りは六つ。
 世辞にも長く持ちそうにない。
 力勝負ではセイバーの方が―――、いや、そもそも、あの宝具を超える存在を仮定する方が疑問。
 二枚目。
 三枚目。
 ―――あと四枚。
 完全に詰んだか。
 と、そこへ、

「―――!」

 垂直に叩きつけていた光筋が弛む。
 その衝撃で残りの全ての盾が霧散したが、斬撃は大きく上方へ逸れた。
 光の刃は彗星の尾のように流れ、大地ではなく空に断層を分かつ。
 いったい何が起きた?
 それに答えたのは、何処までも冷静なハサンだった。


「セイバー自身が手首を返し、盾を梃に空へ逃がしたようだ」

 どうして、わざわざそんなことを?
 質問を声に出す前に、答えは既に動いていた。

 ……あれは―――遠坂―――!

 いつの間にか、セイバーのマスターである少女が、相手サーヴァントの斜め後方へ移動していた。
 予定の行動であるらしく、動きに躊躇や隙がない。
 指の間に大きなルビーが複数。
 そして、遠坂は無防備なサーヴァントに向け、


『―――Ganze Schiessen‥‥!』


 爆炎が巻き起こった。
 遠坂は、それ一つが高威力である無数の魔力の弾丸を、一斉に掃射したのである。
 生じた熱の上昇気流で巻き上がれた土煙が、一瞬にして周辺を覆い隠した。





「見事」

 飾り気のない賞賛の言葉がハサンの口から発せられる。
 あのまま振り抜いていれば、おそらく冬木の町に永久に消えない深い断層が穿たれていただろう。
 セイバーの宝具は完全に相手を凌駕しており、かつ、町が傷つくのを憂慮し、二手を踏むだけの余裕が彼女たちにはあった。
 小細工など弄するまでもなく、真っ当に強い。
 止められて助太刀はしなかったが、しても、そんなものはいらぬお世話だったようだ。

 爆煙が晴れる。
 当然の帰結として瀕死、もしくは既に亡骸となったサーヴァントが転がっているはず。
 あれだけの攻撃を受けて、いくらサーヴァントであっても、無傷どころか、軽症でいられるわけがない。
 確認のために視線を移した、そのとき、


「――――え?」


 激しく打ち鳴らされる、生存に対する警鐘。
 直接本能に訴える忌避感。
 逃げろという意思の一方で、逃げても無駄だという諦めが動作を拒絶し、体が凍りついた。

 "なにか、よくないモノがいる"

 むせ返るような濃度の不快感と嫌悪感を撒き散らして、ソレは泥の沼の中に立っていた。
 もとサーヴァントがいたところ。そこに―――
 晴れ行く土煙から現れたのは"黒い影"だった。










        …










「…………なによ」

 思うところはいろいろあるにせよ、遠坂の第一声はそんな悪態だった。当然ながら、睨まれた俺は慄く。

「ふ、不機嫌そうだな、遠坂」

「そんなの、当たり前じゃない。宝具まで使っておいて逃げられたんだから」

 取り付く島もない、憮然とした答えが返ってきた。
 一応、訊いてみる。

「逃げられたのか?」

「さあ? でも、あれで倒せたと思うほど、楽観的な人間じゃないわよ、私」

「そうか……で、結局、アレは何だったんだろう」

「知らないわよ。いきなり問答無用で襲ってきたから、正体を確かめる暇さえなかったわ」


 セイバーにあんな宝具を使わせておいて、本当に確かめる気があったのかと疑問に思う。
 思ったが、口には出さない。
 今の遠坂の表情を見て、尚もそんなことを言えるヤツがいるとすれば、それは魔人か何かの類だろう。
 遠坂は額に眉を寄せ、アヒルのようなへの字口という渋面を作っている。
 本性剥き出しで、感情がもろに外面に出た、学校では絶対お目にかかれない表情。
 俺に対して気を許しているというよりは、魔術師であることもバレて、たんに遠慮する必要が無くなっただけだろうな。
 で、スカートのポケットを弄っていた遠坂が、唐突に悲痛の叫びを上げた。

「―――ああ、もう! 宝石、四つも使っちゃったじゃない! 赤字よ、赤字」

 そっちかよっ、と、ツッコミが喉から出かかったが、ぐっと堪えた。恐いから。
 金銭面は、まあ、置いておくとして、遠坂的には先の戦いで労力に見合うだけの代価が得られなかったらしい。
 もしかすると、何もせず見ているだけで情報を得た俺たちが、いちばん得をしたのかもしれない。
 それも活かせなければ微妙だが。
 というわけで、つい数分前に起こったことを思い返し、俺なりに整理してみる。




 最初に戦っていたのはセイバーと、アイアスの盾を出したサーヴァント。
 セイバーは勿論既知だが、ソイツは教えてもらったクラス種に該当しそうな外見的特徴を備えておらず、正体は不明。
 近接戦でセイバーに剣舞を挑める程度の強さはあったから、それなりの英霊なのだろう。
 遠坂&セイバーへの無自覚な身贔屓の所為を差し引いても、個人的にイヤな印象を受けた。
 でも、それだけ。そのときはまだ、普通のサーヴァントのように見えた。
 問題は次。
 宝具合戦でセイバーが押し勝った後、入れ替わりに現れた、あの黒い影である。
 無明の闇が光を呑んでいた。
 存在感は吹けば飛びそうなほど軽いのに、呼吸困難を訴えたくなるぐらいの湿った重圧。
 知性もなく理性もなく、おそらく生物でさえあり得まい。
 それは、ゆらゆらと、深海の海月のように弛む、見たこともない何か。

 まるでハサンのようだと、一瞬、頭に過ぎった。
 今とは微妙に違う、初めて見たハサンの姿と酷似している。
 が、似ているだけで、同じではないこともわかっていた。
 如何に本人が「英霊もどき」と謙遜しようと、あくまでハサンは破滅への抑止を担う霊長の守護者。
 比べ、アレはずっとおぞましい……悪意と汚濁の塊である。
 普通に考えれば、何かの能力。
 だが、直前まで戦っていたサーヴァントと黒い影が同一であるという保障は何処にもない。
 そもそもアレは、本当に英霊<サーヴァント>なのだろうか。
 黒い影が形をなして顕在化していたのは、ほんの数秒。
 蜃気楼のようにその場で揺らめくと、見る間に地面へ染み込むように消えた。
 遠坂は「逃げられた」と言ったが ―――、
 じつは "見逃された" だけなのでは……?




「……まあ、いいわ」

 何かと折り合いをつけたらしい遠坂が、そう言い捨てた。
 コホンと咳一つ、

「ところで、士郎 ――― どうしてアンタが、ここにいるわけ?」

 遠坂は不可解なモノを見る眼差しで、こちらを見た。

「む……」

 気づいたか。
 そりゃ、気づいて当たり前か。

 こうして、遠坂たちと面合わせしている理由。
 単刀直入に言えば、隠れているのがバレてしまったからである。
 名誉のために言っておくと、ハサンの気配遮断は完璧だった。
 悪いのは、この俺。
 存在を悟られないために、俺たちは念話とか呼ばれる専用回線で会話していた。
 で、目の前の光景を見ていて力が入るうちに、つい声が出た。
 気づくと、視野の中でずんずん大きくなっていく遠坂を発見した、と、そんな顛末である。

 やっぱり疑っているよな。
 聖杯戦争中なわけだし。
 しかし、黙っているわけにもいかず、訊かれた以上は答えなくてはならない。

「ぐ、偶然だよ、遠坂。そう、ぐうぜん」

 一切合財、正直な答えだが、我ながら嘘臭いと思った。
 どもったのは遠坂の迫力に気圧されたせい……と言っても納得してくれないだろう。
 狼狽えていると、遠坂の表情がますます訝しげになっていくのがわかる。
 何とかしなきゃならない。
 見る。
 考える。

 ――― その、なんだ……、遠坂の私服って初めて見た。

 なんて、現実から目を逸らしてみる。結局。
 赤い。
 赤い服を着ている。
 それがまた、よく似合う。
 イメージカラー?
 喩えるなら、そう、あかいあく―――



「我が主の言い分に、嘘偽りはない。故に、貴殿が考えているような、やましい企みはない」


 今まで、そ知らぬ顔で―――実際には顔は見えないが、そんな感じで俺の背後に控えていたハサンが、口を開いた。
 主の危機を察し、代わりに釈明を買って出てくれるらしい。


「証拠は?」


 と、対抗して、遠坂が言う。
 悪魔の証明。
 ないものはないんだから、証拠だってあるわけがない。一種の弁説トリックである。
 やっぱり、あくまだ。
 でも、ハサンは割と平然と説明を続けた。


「我らがここにいる訳は、教会へ赴いた、その帰路であるため。
 徒歩の場合、屋敷と教会を結ぶ最短を考えれば、この川べりの道を通るのは自然なこと。
 我が主に教会へ行けと薦めたのは貴殿自身の筈だ」

「…………………」

「疑うならば、今すぐにでも教会へ行って、神父に訊ねてみるといい。
 無識な第三者の証言と照らし、整合性があれば、条件証拠として成り立つと思うが」


 いい感じだ。
 あったことをそのまま話してるのだから当然なんだけど、出た言葉には一切の淀みがなく、疑いの余地がなかった。
 くわえ、声質は甘ったるいが、ハサンは平坦で抑揚がない喋り方をする。
 それがいいか悪いかはともかく、冷静であるのは間違いなくて、不思議な説得力があった。
 必要以上のことは喋らないが、もし必要となった場合、意外にハサンは饒舌なのだ。
 実際、遠坂は言い返せない様子だし、このぶんだと、もう一押しだろう。
 是非、頑張ってほしい。
 ……それにしても、どうして俺は、こんなに必死なんだろうね?


「どうだか。綺礼と結託してる可能性だってあるじゃない」

「それこそ、まさか、だな。本気で考えているなら、貴殿の魔術師としての資質を疑わざる得ない」

 更に追い打ち。

「そもそも、自らにやましいところがあるから、何でも疑わなくてはならない破目になる。
 他者に対する謂れのない中傷は、その実、自らの欠点であるということを、よく覚えておくのだな」

 と、ハサンは哂った。



 ちょっと待て。
 ……話があやしくなってきた。
 説得してほしいとは思ったが、何も口喧嘩に勝て、とまでは要求していない。
 どうして、わざわざ遠坂を炊き付けるような皮肉を言う?
 いや、まるで悪者の如く哂って見せてるあたり、はじめから纏める気などがなかった? そうなのか?


 かくかくしかじか。

 尚も二人の言い争いは続く。会話の主役は、完全にそっちへシフトしていた。
 こうなれば、俺が入り込む余地がなく、待つしかない。
 手持ち無沙汰になって、蚊帳の外どうし、何となくセイバーに目が移った。
 向こうも同じようで目が合い、俺は少し萎縮したが、彼女はどうということもなく俺の視線を受け止めている。
 あれほどの戦闘をした後だというのに、セイバーは涼やかだった。

"――― 約束された勝利の剣<エクスカリバー >、か……"

 そう、彼女が口にしたのは、見る者の心さえ奪う黄金の剣の真名。
 イングランドにかつて存在したとされ、騎士の代名詞として知れ渡る騎士王の剣。
 担い手は誰もが知る騎士の王、ただ一人であるはずなのに、どうして彼女がそれを持っているのか?
 いや、このあまりにも有名過ぎる聖剣こそがセイバーの象徴であり、英雄の証。
 ならば、彼女の名は一つしかない。
 単純に、セイバーの正体とは ――― セイバーこそが、

―――――― 騎士<アーサー >王 ――――――。

 その現実は、目だけでなく、思考をも灼く衝撃だった。
 サーヴァントの正体とは過去の英雄。
 聖杯戦争に関わる者なら誰でも知る事実を、どうやら俺は言葉では理解していても、正しく実感していなかったらしい。
 ハサンには悪いが、ハサンの真名を聞いても、いまいちピンとこなかった。
 変わり者であるに違いはないが、ハサンは英雄然としたヤツじゃないし、だからサーヴァントを身近に感じ過ぎていたのかもしれない。
 しかし、セイバーの正体はアーサー王。
 思い返せば、バーサーカーもヘラクレスだと言っていた。
 なにやら、サーヴァントが自分とは違う遠い存在のように思えて、今後の対応に窮してしまう。

 話し掛け辛いな。
 話し掛けてどうするのか、自分でも不明だが。




「………………」

 気づくと言い争いは終わったようだ。
 遠坂は変な顔をしている。
 具体的にと訊かれても説明しようがないが、とにかく変な顔だ。
 そして、大きく息を吐く。


「まあ、どうでもいいわ。べつに同盟を組んでるわけでもないし。
 裏で何かコソコソしてようが、ただ士郎が天然で間が悪いだけだろうが、どっちでも。
 ……それより、これからどうするつもり?」

「どうするって、何が?」

「この状況、見てわからない? サーヴァントをつれたマスター同士が鉢合わせ。
 ちなみに、人払いの結界はまだ生きてるわよ」


 そうだった。今は戦争中。
 顔を合わせれば必然、戦闘になることをうっかり……………………なんてな。
 勿論わかっている。
 わかっていたから、隠れていたわけだし。
 惚けてやり過ごそうかとも考えたいたのが、そうもいかなかったようで。
 でも、どうしよう?



「セイバーの宝具、見させてもらった。
 遠方ゆえ、真名まで確認すること叶わなかったが、なかなかのモノだな」

 ハサンが語り始めた。

「単純だが、"物体を断つ"という剣の性質を、純粋に極めた"貴き幻想"。
 剣の能力の高さを示す誇張表現として"山を断つ"というものがあるが、アレならば確かに、山を二つにすることができよう。
 さすがは最優のサーヴァント、セイバーといったところか」

「……そりゃ、どうも」

 セイバーの代わりに、遠坂が答えた。
 考えても見れば、ハサンがあの宝具の正体と、そこから導き出されるセイバーの真名までを知るすべはない。
 俺は『強化』の魔術しか知らず、かつそれすら成功例も少なくて我ながら情けないものがあるが、唯一、その前段階の『解析』だけはうまくいく。
 構造まで把握するには直接手で触れる必要があるものの、それが何であるか、名前を知るぐらいは視認だけでオーケー。
 知ってどうにかなるととても思えないが、後でハサンにも教えておくことにしよう。
 勿論、今の状況を乗り切ったらの話だけど。
 そのハサンの語り―――いや、騙りか? 褒め殺しした上で、次なる挑発につなげる。


「―――だが、欠点もある。威力の高さに比例して、あの宝具は相当量の魔力を消費すると見た。
 貴殿ほどの魔術師がマスターといえど、おそらく日に一度が限度。使えなければ、存在しないも同然だな」

 と、喉奥で哂った。

「…………ふうん、よく観てるじゃない。
 ええ、燃費の悪さは否定しないわ。後々を考えれば、控えた方がいいのは確かね」

 遠坂はしれっと同意する。

「―――でも、それでセイバーの身体能力が落ちたわけじゃないわよ。
 セイバー相手に白兵戦を挑んで勝つなんて、そんな見込み、本気であると思ってる?」


「さてな―――しかし、宝具が封じられ、セイバーは今、片手落ちの状態だろう。
 比して、戦うには紛うことなき好機と見受ける」

 と、左手にいつもの短刀を構えた。
 ハサンの動作に合わせて、セイバーも前に出る。
 その手には不可視の剣が握られていた。

「例え宝具はなくとも、アサシン風情に遅れを取る私ではない。決闘ならば受けて立とう」



 一触即発。
 いよいよきな臭くなってきた。


「サーヴァントの方はやる気みたいね。士郎、あなたはどうする?」

 言いつつ、遠坂もまた、いつでも戦闘に移れるように身を正す。
 最後に、六つの目が俺に注がれた。


「俺は―――」


 俺はもちろん ――― 遠坂たちとは戦えない。
 教会で神父に宣言した通り、俺が聖杯戦争に参加するのは、戦争そのものを止めるため。
 争う動機がなかった。だが同時に、止める理由も見つからない。
 俺にはなくとも、他の三人には戦う動機がある。聖杯戦争に勝つという動機が。
 ハサンは止めることができるかもしれない。
 最悪、令呪を使うという方法もある。
 しかし、遠坂たちの行動までは止めれない。それでは無意味だ。

 だいたい、ハサンって、こんなに好戦的なヤツだったっけ?
 宝具を使えない今が、セイバーを倒すチャンスだという理屈はわかる。
 わかるのだが―――それでも尚、俺たちでは正面からぶつかっても勝てないと思う。遠坂の余裕がその証拠。
 ハサンの力量は昨夜の戦いと、本人の自己申告でしか知らないから、もしかしたら、まだ何かあるのかもしれない。
 でも、桁違いの強さを見せ付けたセイバーを相手に、その程度の"何か"で差が埋まるものなのだろうか。
 そういえば、全力で逃げると言ってたのは、当のハサンじゃなかったっけ?


「どうするのよ」

 遠坂が促す。
 語調は質問ではなく、命令形だった。
 仕方なく、

「――― 俺は、やっぱり、遠坂とは争いたくないかな」

 正直に言った。
 俺がそう口を開くと、やれやれ、と、遠坂は虚脱の仕草をする。

「なに、今さら甘いこと言っているのよ」

 俺の言葉が琴線に触れたようで、遠坂の声は感情のない魔術師のものに変わっている。
 訊ねてくる口調でありながら、どうやら俺に許された答えは一つしかなかったようで。


「昨夜、別れる時に言ったはずよ。これからはもう、私たちは敵同士だって。
 貴方に戦う気がなくたって、私にはあるの。
 それとも、他に何か、戦わない理由でもあるのかしら?」

 そして左手の裾をまくり上げる。
 遠坂の白く細い腕に、燐光を帯びた、入れ墨のようなモノが浮かび上がった。
 令呪じゃない。
 おそらくは魔術刻印。
 効果は不明だが、物騒なモノだってのは、痛いほどよくわかる。

「―――なにも、命までは獲ろうとは言わないわ。
 大人しく令呪を差し出せば見逃してあげてもいいけど、たぶん、そっちの人が許さないでしょうね。
 だから多少は手荒くなると思うけど、そのぐらいは覚悟なさい」

 ヤバい。
 アレは"死なす目"。笑顔が恐い。
 遠坂は本気だ。
 恥や外聞を捨てて命乞いしようにも、先に無駄と頭から否定されていては、どうしようもない。
 もちろん、令呪を差し出すなんて、そんなハサンを裏切るような真似が俺にできるわけがなかった。
 覚悟を決めるべきか。
 いや、まだ。
 ぎりぎりの妥協点を探る。
 何かないか、俺は最後の悪足掻きで、周囲を見渡す。
 ―――――― と。


「ん……?」

 期待はしていなかったのだが、遠坂の背後、そのずっと遠くの方で、有り得ないものが視界の隅にとまった。

「どうかしたの?」

 と、遠坂が訊く。

「いや、今、ちらっと人影が―――」

 しかも、その人影は見知った顔をしていた気がした。


「はあ? 何言ってるの? 結界張ってるんだから、人なんているはずないじゃない」

「わかってる。だから、おかしいんじゃないか」

 俺の真摯な訴えに応えて、遠坂は振り返った。

「…………誰もいないじゃない」

「あれ? おかしいな? 確かにさっきまではそこに―――」

 消えた。
 ちょっと目を離した隙に、気配まで掻き消えている。
 やっぱり俺の幻覚だったのか?
 そのとき、



 ぐいっ。



 まったくの不意打ちで上着を掴まれ、俺は後ろに引っ張られた。

「…………!?」

 とっさのことに、抵抗するどころか、受身さえ取れそうもない。
 したたかに背中を地面に打ち付けるのを覚悟する。と、その直前で何か抱き止められた。
 そのまま持ち上げられる。

「…………ハサン……?」

 初めて下から見る白い髑髏面。
 つまり、引っ張ったのがハサンなら、それを支え抱き上げたのもハサンの手。
 そのことに気づいた時にはもう、

 ―――俺は風になっていた。






「あ、ああ――――――っ! 逃げた――――――!」


 遠坂の絶叫。
 ハサンは左手を俺の背中に、普段は隠している右手を膝裏あたりに固定して、横を向き仰向けの俺の体を持ち上げていた。
 いわゆる、お姫さま抱っこ……身長が俺の方が高いため、この姿勢がいちばん安定するのは理解できるが―――かなり恥ずかしい。
 そして走っていた。まさしく全力疾走である。
 ……遠坂たちと出会ったら全力で逃げると言っていた話、忘れたわけではなかったのだな。
 さては、はじめからこうすることが目的で、あることないとこ挑発しつつ、隙を窺っていたのか。
 当然、遠坂は凄い形相で追いかけてきた。


「そこ、動くな――――!」


 追撃する遠坂の左手が動き、何かが放たれた。
 どういう魔術なのか、銃弾のような音と衝撃が、すぐ側を掠めた。
 延長にあった街灯に当たり、そこにはくっきりと焦げ跡が。
 堪らず悲鳴が漏れる。


「ひ―……っ! 殺す気かっ!」

「当然でしょ! だから、待ちなさい―――!」

「そんなこと言われて待てるワケないだろ、バカ――――!」


 幸いなことに、遠坂が撃ち込んでくる魔術は、ハサンの短剣ほどの精度はない。
 その代わり、下手な鉄砲もなんとやらというやつで、めちゃくちゃ撃ってきた。
 ばきゅんばきゅんと物騒な音を立てて、俺たちがすぐ前に立っていた地面に次々と焼き跡のようなものを残していく。
 ……ほんとに容赦ないな、遠坂。



「撒菱はないのか、ハサン」

 この状況を生み落とした張本人に、まさかとは思うが一応、訊いてみる。

「…………そのようなものはないが、何とか善処する」

 少し考え、

「士郎殿、口を閉じよ。舌を噛む」

 と、ハサンは大きく地面を蹴った。
 距離より高さを重んじた跳躍。連続してジグザグに。
 三次元的動くことによって、遠坂の狙いを難しくさせようというのが目的か。
 ちなみにスピードは落ちていない。
 なので、ガクガク揺れる。
 たしかに喋れば舌を噛む。


 あの少女の体に、どうしてそんなパワーがあるのか謎だが、遠坂の勢いは凄まじい。
 しかし、俺を抱えていて尚、アスリートクラスの脚力を見せるハサンが相手では、徐々に距離が広がるばかり。

「リン、無駄です。諦めましょう。
 これ以上離されると、次は気配遮断を使ってきます。追いかけることすら困難になるでしょう。
 それに、結界の外に出てしまいます」

 遠坂に追いついたセイバーが嘆息気味に言った。


「くっ………! 士郎―――!
 明日、学校で覚えておきなさいよ! ぎったんぎったんにしてやるんだからっっ……!」


 結局足を止め、名指しで某巨人を連想させる恐ろしげな捨て台詞を吐く遠坂さん。
 気持ちはわからなくもない。
 結果だけみれば、「あ、UFO!」といった感じの、古典的な手に引っ掛かったことになる。
 たぶん、そこには自分への怒りも混じっているのだろう。
 ともあれ、明日のことは考えたくもないが……何とか逃げ切れたようだ。





「念のため、このまま屋敷に戻るぞ」

 遠坂たちを振り切っても、下ろしてくれる気はないらしい。
 ハサンのことだから、抜かりなく人目につかないように移動するだろうけど、

「格好悪いよなあ」

 と、思わず本音が漏れた。
 抱かかえられてる姿もさることながら、逃げたり隠れたりしなきゃならないのが何とも。


「む。他に対処の方法が見つからなかった……すまない」

「あ、いや……、ハサンを責めてるわけじゃないんだ。実際、よくやってくれたと思うぞ」


 しょんぼりしそうになるのを、俺は慌てて引き止めた。
 誰が悪いというのではない。
 ハサンにはハサンの戦闘スタイルがある。
 積極的に前に出るタイプではないのだ。
 対極のセイバーを相手に白兵戦を臨むのは、愚者のソレだろう。
 実力相応。
 マスターである俺が見習い魔術師なせいで、支援も期待できないのだから仕方ない。
 それにしても―――
 本人の口から事前説明があった。
 で、うすうす実感してもいるのだが、


「―――俺たちって今回参戦してる中では、飛び抜けて弱いんじゃ………………」

 するとハサンは、なかなか頼もしいことを言ってくれた。



「なにを今更……」














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