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 弓道場へ赴き、藤ねぇ、桜、美綴などと軽く談笑した後、俺は次なる目的地へ向かった。
 目指すは教会。橋を渡り、新都へ。
 新都と言えば開発が続く駅前のオフィス街しか頭に浮かばないが、駅から外れれば昔ながらの街並みが残っている。
 地図によると、教会は正しくその郊外に建っているはずだった。

 ちなみに、ハサンはついてきている。
 基本は人目を避けながらの移動で、周囲の反応に不自然な様子がないところを見ると、何とかうまくやっているみたいだった。
 但し、その『避けるもの』の中に俺は入っていないらしく、時折視界をかすめる黒い影に俺は戦々恐々。
 弓道場の外で美綴と話していた時などは、そのすぐ背後で佇んでいたり……
 昔のコントよろしく、思わず「うしろ、うしろ」と言いたくなるのをぐっと堪えたりとか、まあ、いろいろあった。
 やっぱり遠坂あたりに ――― 遠坂しか訊けるヤツを知らないけど、霊体にする方法を教わるべきかもしれない。
 ハサンは反対しそうだけど。



 海を臨む高台へと続く、なだらかな坂道を歩く。
 あと少し。
 上る度に建物が少なくなっていって、丘の斜面に建てられた外人墓地が目に入るようになった。
 やがて、上がりきった俺を出迎えてくれたのは、まったいらな広場だった。

「うわ ――― すごいな、これ」

 見上げる傾斜の頂点、広大な敷地の奥にそれはあった。
 象徴としての十字架が屋根に突き立っているあの建物が教会の本体なのだろう。
 そう大きくはないというのに、聳え立つ教会は見る者を威圧していた。
 もう何年も ――― よくは覚えていないけど、長く冬木に住んでいるはずなのに、こんなところがあるなんて知らなかった。
 教会の存在自体は知っていたけど、どういうわけか、今の今まで訪ねるということをしていない。
 まあ、べつに俺は信徒じゃないし、縁がなかったのも当然か。


 ……たしか、名前は「言峰」とか言ってたっけ。

 遠坂の話を思い出す。
 言峰というのは、そこで神父をしている人物の名前。
 別れ際、遠坂は教会へ行き、その言峰に会って話すようにと薦めた。
 話によると、ソイツは神父でありながら魔術を修めており、この聖杯戦争では監督役を勤めているのだという。
 教会の基準にあって、魔術は異端と見なされる。
 信徒であろうと例外はない。
 なのに、そこに籍を置いている矛盾。
 推測の域を出ないが、親父から話しだけは耳にしたことがある代行者というやつなのだろうか。
 どちらにしろ、一筋縄で行く人物ではないのは間違いない。



「――― じゃ、ここから先は一人で行くから、予定通りハサンは待っててくれ」

 声をかけた。いつの間にか俺の横に並んでいたハサンは頷く。


「――― ご武運を」

「大袈裟だな……大丈夫だって」

 苦笑しつつ、俺は背に注がれているであろう視線に手を振った。










   Faceless token.     06 / Ignore









「えと……、誰かいませんか?」


 講堂に辿り付いた俺は、そっと観音開きのドアを押し開き、中に入った。
 整然と無数に並ぶ席は、訪れる者が多いことを示す何よりの証。 だが、今はいない。
 偶々そういう時間帯に当たってしまったのか、俺の声だけが空しく木霊する。



 高台の教会。
 今まで寄りつきもしなかったこの神の家に向かうと告げた際、ハサンはこれに反対した。
 監視されているかもしれないと主張する。
 無論、敵と称する他のマスターに。
 神父が聖杯戦争の監督役であるのは、まともな経緯でマスターになった者なら誰でも知っていること。
 実際にそれで他のマスターを見つけ出せる可能性は低くとも、ただ闇雲に探すことを思えば戦術として悪いものではない。
 言われてみて初めて……であるけれども、それを危惧するのはもっともな意見だった。

 しかし、それでも俺は神父の話を聞きたいと思う。聞くことにした。
 俺は聖杯戦争のことを何も知らない。
 戦い方やルールが……ということでなく、どうして聖杯戦争なんてものがあるのか、そこへ至る経緯、背景を知りたかった。
 戦う理由はある。いまさら後に引けないことも承知している。
 承知した上で、ただ訳も分からず殺し合いをさせられるのは納得いかなかった。
 必要ないといえば、確かに必要のない知識であるけれど、士気に関わると考えるのは穿ち過ぎだろうか。
 監督役ならば、それを教えてくれるはず。

 結局、この押し問答を譲ったのはハサンだった。
 遠坂の話を信じるなら、高台の教会はサーヴァントを失ったマスターの避難場所になっている。
 魔術師に倫理観は期待できないが、聖堂教会を敵に回すほど向こう見ずではない。
 監視はあっても、そこで襲われる可能性は低いだろう。
 ……要するに、気づかれなきゃいいわけだ。
 いくら気配遮断の技能があるとはいえ、サーヴァントであるハサンを連れ歩くのは目立つ。
 ついて来たのは俺を守るため。目的地が教会なら遠く離れるわけでなく、敷地の外で待つと言った。
 で、俺は一般の礼拝客を装って中に入る、と、そういうわけである。

 ――― だが、誰もいないというのはちょっと想定外だった。
  一般人に知られてはいけない話をするわけだから、都合がいいと言えば都合がいいのだが。



「探すしかないよな……」


 ひとり愚痴て、周囲を見渡す。
 広く、荘厳な礼拝堂だった。
 生憎と俺には感じ取れないのだけれど、神聖で厳かな雰囲気とはこういうのをいうのだろう。
 ともあれ、何処かに私室へつながる道があるはず。
 一見ではそのようなものは見当たらないが ――― と、




「礼拝の時間はとうに過ぎている ―――」

 かつんと響く足音。
 朗々とした声は祭壇の裏から聞こえた。



「――― だが、教会の門はいつでも信徒のために開かれている。救いを求めるなら、それを与えよう」


 男はゆらりと現れた。




「…………っ」

 重厚な印象を受ける教会からの先入観からか、てっきり神父は老人であると思い込んでいた。
 そうでなくても、聖職者に値する人物である、と。
 ……正直、甘かったと思う。
 とても神に仕える聖者とは思えない大柄な体格と、こちらを射抜き、人を品定めをするかのような視線。
 肩にかかる空気が重くなるような威圧感を、この神父は持っていた。
 何かされたわけでもないのに、頭の中でがんがん警鐘が鳴り響く。

「少年、何を構えている?」

 くくっ、と神父は愉快そうに笑った。
 知らず、俺の足は退いていたのか……
 それはきっと怖れなどではなくて、肌に纏わりつくもっと嫌な感覚が圧したから。

"コイツは気に入らない"

 単純に言えば、そういうことなのだろう。
 遠坂の微妙な反応と、魔術師にして神に仕える背信者であることの意味。
 この神父からは、生理的な嫌悪しか感じない。


「……あんたが言峰綺礼か?」


 ともかく、このままでは埒があかない。
 今は個人の感情は抜きにして、目的を果たさねば。
 大きく深呼吸してから、らしき人物であるこの男に訊ねた。


「―――――― 私を名指しするとは、どうやら只の礼拝客という訳ではなさそうだな。
 用があるなら、まず自分から名乗りたまえ。話はそれからだ」

「ああ、俺は―――俺の名前は衛宮士郎。遠坂に、あんたに会うように言われて、ここに来た」


 不意に空気が変わる。
 気づくか気づかないかぐらいの一瞬のことだが、神父の目が驚きで見開かれた。


「エミヤ、シロウ?――――――衛宮」


 と、神父は静かに、何か喜ばしいモノに出会ったかのような愉悦に、口元を歪がめた。
 ぞくりと悪寒が背筋を伝った。
 やっぱり、コイツは ――――――、



「――― そういうことか。よかろう、君を歓迎する。七人目のマスターよ」

 神父は祭壇へ歩み寄り、大仰に手を広げた。


「マスターになった者は、ここに届けを出すのが決まりとなっているのだがな。
 結局、現れたのは一人だけ―――魔術師たちは、こちらのルールに従うつもりはない、というわけか。
 そのぶん、誠意を示した君には、出来る限りのもてなしをするとしよう」

「……べつに、俺はアンタと馴れ合うつもりはない。ここに来たのは、訊きたいことがあったからだ」

 浴びせられる威圧感に怯まぬよう、強気で言葉を連ねる。

「―――その前に、一応確認するけど、本当にアンタは言峰神父なのか? 聖杯戦争を監督しているという……」

「そうだ。凛から聞いているのだろう? 師を敬わぬ不肖の弟子だが、アレはアレなりにマスターの自覚があるようだ。
 この時期にわざわざ君を寄越したということは、やはり聖杯戦争の関連だろう。
 訊きたいことがあると言ったな……言ってみたまえ」

「……俺が訊きたいことは、そんなに多くない。
 聖杯とは、聖杯戦争っては、いったい何なんだ? どうしてこんな……ふざけた殺し合いをしなくちゃならない?」

「…………何も聞かされていないのか?」

「何も、ってわけじゃない。俺はもう、サーヴァントと契約している。
 ある程度ルールも把握しているつもりであるし ――― 戦わなきゃならないこともわかる。
 だけど、どうしてそれが俺なんだ?
 マスターっていうのがちゃんとした魔術師がなるモノなら、もっと他にいるだろ?」


 ……そう、一応は魔術師であるが、俺はそのあたりの事情を知らない、まったくの素人だった。
 例えば遠坂は、ずっと前から聖杯戦争なるものがあることを知っていたのだろう。
 知った上で準備し、聖杯を手に入れるという目的のために、自分の意志で参加した。
 それはたぶん、他のマスターも一緒なはずだ。
 しかし、だったら俺は何のために?
 俺が戦うための理由ではなく、俺を戦わせる理由というのが何なのか、それを知りたいと思った。


「本当に知らないようだな ――― よかろう。
 まず、君が巻き込まれたこの戦いは『聖杯戦争』と呼ばれるものだ。
 七人のマスターが七人のサーヴァントを用いて繰り広げる争奪戦―――という事ぐらいは聞いているか?」

「ああ」

「では、先に君の勘違いを正そう。令呪とは聖痕でもある。
 都合が悪いからといって放棄する事はできん。その痛みからは、聖杯を手に入れるまでは解放されない」

「………………」

「――― 故に、これは誰かに選定されたものでなく、マスターとなった者へ与えられた試練である」


 ……誓ってもいい。この神父は聖杯戦争とやらを、これっぽっちも“試練”だなんて思っていない。


「まるで"運命"の所為だとでも言いたげだな」

「その場合、神に仕える身の私はもっと別の言葉を使うが。
 そうだな……、そこに何かしらの意思があるかどうかまでは分からないが、強いて言えば、決めたのは聖杯自身ということになる。
 七人のマスターを選ぶのも、七人のサーヴァントを呼び出すのも、すべては聖杯自体が行うこと。
 自らを持つに相応しい人間を選び、彼らを競わせて、ただ一人の持ち主を選定する。
 聖杯戦争とは、聖杯に選ばれ、手に入れる為に殺し合う降霊儀式というわけだ。
 報酬は、如何な望みをも叶えること。異存はあるまい」

「そんな聖杯が―――アンタの言う聖杯は本物なのか?」

「勿論だとも。この町に現れる聖杯は本物だ。その証拠の一つとして、サーヴァントなどという法外な奇蹟が起きている。
 過去の英霊を呼び出し、使役する。否、既に死者の蘇生に近いこの奇蹟は魔法と言える。
 これだけの力を持つ聖杯ならば、持ち主に無限の力を与えよう。物の真贋など、その事実の前には無価値だ。
 具体的に説明すれば、この町に伝わる聖杯は霊体。
 器物として有る訳でなく、特別な儀式を行い、降霊することによって出現する。
 霊体には霊体しか触れることが出来ず、故にサーヴァントが必要というわけだ。分かったかね?」

 それで、納得しろとでもいうのだろうか。
 聞けば聞くほどこいつの言葉は、血のように粘り着いて、いちいち癇に障る。
 ――― と、今の説明で、あることに気づいた。

「ちょっと待て、何かおかしいぞ。今の説明じゃ、聖杯を手に入れるのに必要なのはサーヴァントだけということになる。
 逆に言えば、使役するだけのマスターの生死は関係ない。少なくとも、マスター同士が殺し合う意味はないんじゃないのか?」

「なるほど。そういう考えもあるか―――」

 神父は感心したように呟いた。
 勿論、それは酷く演技めいたものであったが。

「衛宮士郎―――では訊ねるが、参戦するとして、勝ちに徹するなら、おまえはどう戦う?
 もっと言えば、君は自分がサーヴァントより優れていると思えるか?」

「―――あ」

 そういうことか……

「――― ふむ。何か思い至ることがあるようだな。
 そう、サーヴァントはサーヴァントをもってしても破りがたい。だが、一方でサーヴァントはマスターがいなければ存在できぬ。
 ならば、答えは単純。マスターを殺す事が、サーヴァントを倒す最も効率的な手段となる」


 マスター殺し。これを得意としているのは、当の俺のサーヴァントだった。
 実際、あの少女を殺すことによって、バーサーカーを退けたのは事実は曲げようがない。


「―――そういうことだ。過去、繰り返された聖杯戦争はことごとく苛烈を極めてきた。
 マスターたちは己が欲望に突き動かされ、魔術師としての教えを忘れ、ただ無差別に殺し合いを行ってきた。
 今回だけは違うという根拠は、何処にもありはしない。むしろ、そうなって然るべきだろう」

「――――――」

「容赦のない殺戮の儀式、とくに、かってもわからず巻き込まれたとなれば、それを嘆くのも無理はない。
 マスターを放棄したいというなら、それもまた選択肢の一つだろう。
 なに、令呪は使えば無くなる。マスターの証が令呪ならば、逆を言うと、使い切ってしまえばマスターの権利を失うということでもある。
 そうしてサーヴァントとの契約を断った場合は、聖杯戦争が終わるまでの君の安全は私が保証しよう。
 これも決まりでな、マスターでなくなった魔術師を保護するのは、監督役として最優先事項なのだよ」

 言峰の声は変わらず淡々としたものであるのに、俺の頭蓋で酷く反響した。

「――― だが、ものは考えようだぞ、衛宮士郎。
 聖杯を手に入れ、己が望みを叶える。要は、君が勝ち残ればいいだけのこと。そうなれば何もかもが元通りになる。
 ――― そうだ、その目に見えぬ火傷の跡を消すために、すべてを初めからやり直すことだって可能だ」

「――― っ」

「十年前―――、この街に住む者なら誰もが知っている出来事を、まさか忘れたわけではあるまい。
 死傷者五百名、焼け落ちた建物は実に百三十四棟。未だ以て原因不明とされるあの火災こそが、聖杯戦争による爪痕だ。
 聖杯は万物、望むままの願いを叶える。
 その災厄さえ無かったことにし、失われたものすべてを、おまえを縛る『衛宮』の名を捨て、本来の自分を取り戻す事とて可能だろう。
 故に、望むがいい。もしその時が来るのなら、マスターに選ばれた幸運に感謝するのだからな」


 言峰の顔が歓喜に歪んだ。
 と、同時に、俺の視界がらりと揺らぎ ――― そして、あの忘れようのない灼熱の地獄が脳裏に浮かぶ。


 赤く焼け爛れた焦土。
 少し前まで人であったはずの黒い物体が無数に、延々と並ぶ絶望の荒野。
 ……救えない。
 怨嗟の中を懺悔しながら歩いた遠く、だが、未だ色褪せない罪科の記憶が蘇る。

 あれを無かったことにできるというのか? だとしたら、俺は ―――


 ――― 否、ヤツは聖人なんかじゃない。
 熱に浮かされた意識で頭を振った。
 言峰のご高説は神託なんてものじゃなく、恐ろしく性質の悪い ――― そう、例えるなら悪魔の諍いだ。
 根拠なんてありはしなかったが、ヤツは信用できない。それだけは確かだ。
 喉奥に押し寄せる吐き気を堪え、声を探り紡ぐ。



「――― さっきから聞いてると、まるで俺のことを知っているみたいな言い方だな。
 俺の方はオマエのことなんか、まったく知らないのに」

 苦し紛れに、ふとよぎった疑問。それを口にした。
 だが、それはある種の核心をついていたらしく、ぴくりと言峰の表情が動く。

「……ほう。興に乗って、少しお喋りが過ぎたか。
 まだ時期尚早だったと見える。傷を切開し、救いを与えるのは、また次の機会としよう」

 ……何が救いだ。次の機会とやらにも興味はない。

「俺は質問したはずだが? それとも何か、答えられない理由でもあるのか?」

「私にとっての不都合は何もない。むしろ、それを聞いて後悔するのは君の方だ。
 どうしても知りたいというのなら答えもするが、本当にそれでいいのか?」


 もう、隠す気などさらさらない愉悦を顔に浮かべて、神父は言った。
 やっぱり、この状況を愉しんでやがる。
 俺たちが必死に足掻く様は、あいつにとっては態のいい娯楽であるらしい。
 まったく虫唾が走る。
 一方的な悪先入観だが、それは間違っていない気がした。
 俺の無言を肯定と受け取り、言峰は話し始める。


「断言してもいいが、私は今、目の前にいる『衛宮士郎』という少年のことを、詳しく知るわけではない。但し ―――」

 神父はにやりと笑った。

「――― 但し、『衛宮』という名前とは面識がある。過ぎるほどに、な」

「? どういうことだ?」

「どうもこうもない。衛宮の名を持つ者がもう一人いる、否、いたことは知っているはずだ。
 端的に言えば ――― 衛宮切嗣を。10年前の聖杯戦争でマスターだった男だ」

 っ! 親父が……マスター?


「少し考えれば、すぐにわかること。
 聖杯戦争の爪跡である大火災に魔術師が居合わせたことを、只の偶然と思うか?
 気づかなかったのだとすれば、余程の間抜けか、無意識に見て見ぬ振りをしていたのだろう。
 そのどちらでも構わないが、これは事実だ。
 故に、私は最初に君に質問したはずだ。『何も聞かされていないのか?』、と」

「………………」


 驚きはしたが、だからといって言峰の言葉を否定できなかった。
 当初、親父は俺が魔術を学ぶことを強く反発した。
 それは、再び聖杯戦争が行われたら、俺が巻き込まれると予見してのことだと、今なら分かる気がする。
 悔しいが、言峰の言い分には辻褄が合っていた。

「ちなみに、私が衛宮切嗣を知るのは、何も監督役だからというだけではない。
 なにしろ前回は私もマスターだったからな。もっとも、他のマスターたちはどいつもこいつも化け物揃いで、真っ先に脱落したが。
 私ではそれが限界だったのだろう。戦いを回避した男には、聖杯など手に入らなかった。
 脱落した後は当時の監督役だった父に保護され、以後はその任を私が引き継ぎ、この教会で聖杯を守っているというわけだ」

 微かにだが、神父は悔いるように目を細め、俺から視線を逸らす。

「衛宮切嗣は、その化け物揃いのマスターの中でも、代表格の存在だった……
 もし望むのであれば、おまえが知らない衛宮切嗣を語って聞かせてやることも可能だが、どうする?」


「…………いや、いい。これで質問は終わりだ」

「そうか。では、話しはここまでだ。
 ところで、私はまだ肝心な言葉を聞いていない。この戦い ――― 聖杯戦争に参加するか否かの意思を、宣言したまえ」

 高みから見下ろして、神父は最後の決断を問いた。

「決まっている。俺はマスターとして戦う」

 そうだ、今更の変更はない。
 言峰が何を言おうとも、とっくに決めたことだった。

「――― ただ、おまえが言うように、聖杯が欲しいから参戦するわけじゃない。
 他のマスターが平気で人を殺すような最低なヤツだったら、何としても止める。
 十年前の火事の原因が聖杯戦争だっていうんなら、俺は、あんな出来事を二度も起こさせる訳にはいかない」

 聖杯なんていう怪しいもののために命を懸けることはできない。
 けれど、そのために引き起こされる馬鹿げた殺し合いを止めるためだったら俺は……戦える。
 そうするだけの理由と意思は間違いなく俺の中にあった。



「今はまだ救いより、自らの願望を選ぶか…………それもいいだろう。
 君をマスターとして認める ――― この瞬間に今回の聖杯戦争は受理された。存分に戦い合え」

 一方的な開始の宣言。傍聴人はただ一人、俺だけ。
 戦いは既に始まっており、俺が知る範囲だけでも犠牲者は出ていて、宣言には何の意味もない。
 言峰もそんなことは当にわかっている筈であり、たんに、この男は教会の神父として始まりの鐘を鳴らしたにすぎなかった。

 ともあれ、話はこれで終わり。
 いい加減、この神父と二人きりで礼拝堂に詰められるのも、厭いていたところだった。
 出来れば、二度とこの男と顔を合わせたくない。
 保護されるのは真っ平、勝ち残る理由がまた一つ増えた、なんてことを考えた。
 一応、形ばかりの礼をし、背を向けて出口に歩き出そうとしたその矢先に、



「待ちたまえ」

 と、呼び止める神父。声がやけに近い。
 たまらず振り返ると、何時の間に移動したか、神父は俺のすぐ背後に立ち、見下ろしていた。

「な、なんだよ。まだなんかあるっていうのか」

 言いつつ、足は勝手に後ずさる。

「――――――」

 じっと俺を見据える。

「話がないなら帰るからなっ!」

 神父の視線を振り払おうと出口に向かう その途中に、




「―――― 喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う」



 そう、神託を下すように神父は言った。愉しげに笑みをこぼして。

「『衛宮』を、正義の味方を継ぐと決めたのだろう?
 ならば喜べ。
 君が待ち望んだ『悪』は、すぐ手の届くところにある」

「っ――――!」

「判っていたはずだ。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。
 たとえそれが君にとって容認しえぬモノであろうと、正義の味方には、倒すべき悪が必要だ。
 サーヴァントは魂食い。人を食えば食うほどに力を蓄えるモノたちであり、そうした手段に出ない理由はない。
 これほど分かり易い『悪』は無いだろう。遠慮なく断罪したまえ」


 その言葉は、自分でも気づかなかった衛宮士郎の本心を暴き、抉った。
 つまり、神父はこう言っているわけだ。
 "敵が出来てよかったな"と。
 衛宮士郎という人間が持つ最も崇高な願い ――― 正義の味方になると誓った。
 悲しむ人の涙を止める人になりたい。
 ただ、あの地獄から、救い出された時から始まった純粋な願いだ。
 だが、神父は、それを最も醜悪な望みと同意であるという。


 ……そう。何かを守ろうという願いは、
 同時に、何かを犯そうとするモノを望む事に他ならない ――――




「なに、取り繕う事はない。君の葛藤は、人間としてとても正しい」

 神父の二の句によって、深い海溝に落ち込もうとしていた思考が、少しだけ引き上げられた。
 少なくとも、コイツの言うことは信用できない。
 だったら、考える必要はなかった。悪いが、そういうことにさせてもらう。
 別れの挨拶も忌避して、足早に俺は出口へ向かった。


「最後に一つ、忠告をしておいてやろう」

 背中に声がかかる。





「――― サーヴァントを信用するな」


 なんだと?

「私は何も、特別なことを説いているわけではない。
 サーヴァントは召使などという呼称こそついているが、彼らは彼らなりに聖杯を求める理由があって、協力しているに過ぎない存在だ。
 マスターの奴隷でも使い魔でもなく、喩えるならそう、目的を同じくする同朋といったところ。
 魔術の世界に友はいない。在るのは利己的な利害の一致のみ……」


 ああ、コイツは……、どうして、そんな余計なことを言うのだろう。


「――― これは予言だ、衛宮士郎。
 おまえが望むのは聖杯の否定。ならば、それを渇望する英霊とは真逆。
 君がその道を進もうとするかぎり、いつか、君は手酷い裏切りに合う……よく覚えておくのだな」



  頼みもしない忠告に答える気力もなくて、俺は言峰に背を向けたまま教会を後にした。











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