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 穂群原学園、その校舎の屋上。
 斯くも覚え愛でたき淑女にして、剣の主たる女魔術師<メイガス> ―――遠坂凛は目下、此の場所にて食事中だった。
 肉の味しかしない学食は論外として、弁当の持参無くば、購買部のパン以外に選択肢はない。
 給水塔の裏、冷たいコンクリートに腰を下ろす彼女は、自らが持参した茶褐色の固形物を咀嚼する。
 昼食と呼ぶにはあまりにも侘しく、本人もそれを自覚しているのか、

「やってらんないわね。ま、綺礼の夕食に付き合わされるよりマシだけど―――」

 と、一噛みごとに意匠が異なる愚痴を、物言わぬ寒空へ溢していた。
 そんな凛に、音も無く背後から忍び寄る黒い影―――。
 兄弟子の業火な食卓に意識を持っていかれている所為か、彼女はソレの存在に気づかない。
 いや、其がかつて、ユースフ・アイユーブの寝室に侵入したとまで伝えられる手腕を持ってすれば、この程度、容易いか。
 やがて彼者は手が触れそうな致命の距離まで造作も無く近づく。そして―――






「……買ってきた」

 サーヴァント・アサシンこと、ハサン・サッバーハは凛に声をかけた。
 任務完了の報告をする。

「ごくろさん」

 振り返るのに合わせて差し出された成果を、凛は素っ気ない労いの言葉とともに受け取った。
 そういうものだという割り切りがあるのか、不意にハサンが現れても彼女に動揺の色はない。
 士郎もそうだが、心構えがあれば、それなりに馴れるモノであるらしい。

「ん? あんた、自分の分は買ってこなかったんだ」

 棒立ちのハサンが手にしていた缶は一つのみ。それに気づいて、言葉を投げる。
 髑髏の仮面がこくりと上下した。

「あ、そ。けど、使わなかった分のお金はきっちり返して貰うわよ」

 と、"百円を惜しむ女"遠坂凛は、さっそく缶を受け取り、プルタブを開けた。
 ハサンは、そんな緊張感に欠ける凛の俗っぽさに肩を竦めるも、その動作は幸いにして黒衣の下。
 凛は缶容器のミルクティーを啜り、溜飲して一呼吸を置く。それから、



「自分でパシらせておいて何だけど、よく買ってこれたわね。もう少し人が増えても平気?」

 ハサンが保有する気配遮断の技能。凛はそれとなく使い勝手を質問した。

「…………」

 Silence is golden ――― 沈黙は金なり。
 黙秘権の行使は交渉術の基本である。
 しかし、すべてが後手にまわっている現状を考えると、握っている情報の分量は明らかに凛が上回っていた。
 沈黙が利になるのはむしろ彼女であろうと思い直して、ハサンは小さく嘆息し、銀を選択する。

「屋内限定なら数は問題にならない。
 但し、それは五感以外に探索の手段がなく、訓練も成されていない素人が相手だからこそ。
 魔術師やサーヴァントに対しては、それなりに、としか答えようがないな。
 むしろ、此方が貴公らに訊きたいぐらいだ」

「私? 私は無理よ。そりゃ一般人よりはマシでしょうが、アンタたちのレベルから見れば似たようなものだわ。
 さすがにセイバーは戦闘中だと、何となく位置がわかるみたいだけど」

「だろうな。如何なわたしと言えど、攻撃に移る瞬間だけは殺気を隠しきれない。おそらくそれが読めるのだろう。
 セイバーほどの力量ならば当然とも言える。完璧には遠い」

「でも、それって逆を言えば、攻撃するまではセイバーでも難しいってことじゃない。
 サーヴァントならそれでいいかもしれないけど……、やっぱりアンタってば、マスターの天敵だわ」

 何気ない、ついでのような情報交換だが、此処にも駆け引きは存在する。
 ハサンは正直に話している。が、話してないこともある。最低限、具体的な上限については触れてない。
 一方の凛も、明け透けのようでいて、その実、慎重に言葉を選んでいる。
 両者の関係は、偶然から組み上げられた一時の均衡であって、描いた戦略図に不可欠な同盟ではなかった。
 この会話の真意は、互いが踏み込んでも良いとする境界線を内々で特定することにある。

「ふーん……なるほどね」

 更に数度会話を交わした後、この言葉を持って打ち切り、凛は食事を再開した。
 一方のハサンは己から切り出す話題はない。故に黙って凛が昼食を終えるのを待つ。

「………………」

 待つ。

「………………」

 待つ。

「………………えっと―――」

 ……落ち着かない。
 凛は口に運ぶ手を止めてしまった。
 気配は無いのに、存在感はある。仮面の下で良くは見えないが、視線は感じる。
 ハサンの職業はガチの暗殺者であるから、そんなのが側にいれば、落ち着かないのも無理も無い。
 が、この場合、生命危機の不安ではなく、別種の気まずい居心地の悪さであることを凛は意識した。
 己の知識をめくり返し、感情の由来を検索する。そこで、はたと気づいた。



「―――食べる?」

 一切承知とばかりに、凛はずいっとアンパンを差し出した。
 彼女の従者はセイバー。かれこれ一週間近く寝食を共にしている。
 その培った経験から導き出した結論がコレだったのだが、


「いらない」

 ハサンは即答した。

「あれ? 今は仮初めとはいえ、協力関係にあるようなものだし、遠慮はいらないのよ?」

「遠慮してない。食べないから、いらない」

 素気無く断った。

「本当に?」

「本当に」

 復唱する。

「おかしいわね」

 当てが外れたことに、凛は本気で首を捻った。

「だって、セイバーなら喜んで飛びついてくるのに」


「………………」


 それはセイバーがおかしいのだ、と、ハサンは思った。










   Faceless token.     12 / Mealtime











 結論から言って、セイバーの様子がおかしかった。
 姿勢は正しいのだが、視線が定まっていない。まるでおもちゃ売り場の子供のごとく宙を彷徨っていた。
 まったくもって彼女らしくない、そんな挙動不審な態度が気になる。
 意を決したか、やがてセイバーは身を乗り出し、真摯な眼差しを俺に向けて言った。

「いいですか、シロウ。これはとても大事なことですから、よく聞いてください」

 俺はそのままの姿勢で頷いた。いや、頷かざる得なかったと言うべきか。
 正に蛇に睨まれた蛙の心境。今の彼女には顔を背ける事も許されない異様な迫力があった。

「ええ、たしかに貴方が言った事は正しい。サーヴァントの現界維持に必要なのは魔力です。
 また、その大半をマスターからの供給に頼っている事も、疑いようない事実でしょう。ですが、しかし―――」

 こほんと咳払いを一つ。
 それから、握った拳に力を篭めて叫んだ。


「しかし、じつは、ご飯でも魔力が得られるのです―――!」


 ……言った。
 どうだっと言わんばかりに、雄々しく、高らかに、セイバーは言い切った。
 呆然とする俺を他所に、くま子嬢はさらに熱弁を振るう。

「率直に言って、食事から得られる魔力というのは微々たるものです。しかし、だからといって侮ってはいけません。
 何が起こるかわからないのが聖杯戦争ですから、そんな紙一重の差が生死を分ける場合だってあります。
 不意に備え、常に己身を最善の状態に保っておくのは、騎士たる者の当然の義務というものです」


 ……真意はどうあれ、言っていることはもっともらしい。

「―――そういうわけで、シロウ、わかってもらえましたか?」

「ま、まあ……、それなりに」

 セイバーの気迫に圧され、おずおずと同意する。
 しかし、セイバーはこれほどまで食事に拘るやつだとは知らなかった。
 遠坂が餌付けしてしまったのだろうか。
 生真面目なセイバーの―――、いや、今でもじゅうぶん生真面目なんだけど、意外な一面を垣間見た気がした。
 気がしたついでに、せっかくの機会だから、と、もう少しからかいたくなるのが人情だ。

「こういうことだろ。たかが食事といえど、侮ってはいけない―――」

 セイバーは満足そうに頷き、「ええ」と背筋を正した。
 しかし、俺はここで、敢えて彼女の期待に背く台詞を口にする。

「―――つまり、敵のサーヴァントへの安易な施しは良くない、と」

「!」

 あくまでも俺の相棒は、アサシンのサーヴァントであるハサン。
 聖杯戦争のルールを考えれば、望まずとも最終的にはセイバーとは敵対関係になるのが必定だ。
 これまでの話と各々の立場を総合すると、当然、そういう結論に至ってしまうわけで。

「―――くっ、そうきましたか……」

 セイバーはぎりりと臍を噛んだ。
 何がそこまで彼女を駆り立てているのか不明だが、かなり悔しそうだ。

「シロウ」

 少し考えての後、セイバーは粛々と言葉を紡ぐ。

「日本の諺に、こんなものがあります―――敵に塩を送る、と」

「……………………」

「敵対する相手であっても、苦しいときには手を差し伸べる。立派な行いです。
 武士と騎士。細部に違いはありますが、根底に流れる思想は同じモノであるはずです」

 よくそんな言葉知ってるな、セイバー。
 やっぱりこれも聖杯から得た知識なんだろうか。

「如何でしょうか?」

 訊ねられる。

「如何と言われても、俺は騎士でも武士でもないから。というより一応、魔術師だし」

 戦国武将のモラルを問われても、現代人である俺には答え難いものがある。
 これがもし遠坂だったら、送る塩の中にこっそり砂糖を混ぜそうだ、と、余計なことを考えてみたりした。

「そうですか。むむ……」

 セイバーは眉を八の字に曲げて、次の手立てを考え込み始める。
 よくよくセイバーも律儀なヤツだ。
 小難しい理屈など労せずに一言、「いただきます」と言えばいいだけなのに。
 床に敷き詰められた弁当の分量を見れば、俺に独り占めする気がないことぐらい、わかりそうなものだが。
 まあ、そこがセイバーたる所以なのかもしれないけど。
 暇を持て余した俺は箸を割り、卵焼きを一つ、口の中に放り込んだ。
 ……ちょっと甘過ぎたかも。
 自然、藤ねえの味覚に合わせてしまっている所為かもしれない。
 そんなふうに料理人としての自らの仕事に反省していると、


「―――!」


 ぞくりと唐突な悪寒。
 視界が歪み、平衡感覚を失った。
 胸を締め付けられ、息苦しくなる程の濃密な魔力<マナ>の高まりに咽る。
 ちらりと正面に顔を向けると、依然変わりなく正座したセイバーの姿が目に止まった。
 いや、変わりないというのは語弊があるだろう。
 彼女はむしろ憑き物でも落ちたみたいに平静で穏やかな顔をしていた。

「いいでしょう。かの宮廷魔術師といい、リンといい、魔術師という人種がどういった者たちなのか、すっかり失念していました。
 貴方もやはり魔術師だったのですね。よくわかりました。今後の教訓としておきます」

「まてまて、セイバー。落ち着けって!」

 静謐な弓道場を一瞬のうちに満たした魔力の渦源に、俺は矢継ぎ早に進言する。

「落ち着く……? 私は今これ以上ないってぐらい落ち着いていますが?」

 棒読み口調でくま子嬢は語った。
 ……ヤバイ。
 具体的に何がどうというわけではないが、とてつもなくヤバイ気がする。
 本能がそんな警告を発した。

「え、えっと……セイバーさんも食べませんか?」

 思わず敬語で訊ねる。
 そもそも腕力ではまったく適わない時点で、俺の敗北は初めから決まっていたようなものである。
 血は見たくない。

「安易に敵に施しすることは、良くなかったのではありませんでしたか?」

「いやいや、セイバーは今は敵ってわけじゃないし。うん、安易じゃない。
 昼飯ぐらい、お近づきの印にいただいてくれ…………というか、いただいて下さい、是非に」

 俺はおずおずと弁当を差し出した。
 セイバーはちらりと横目で見て、考える仕草をする。
 彼女の中でプライドと欲望が戦っているのかもしれない。
 その決着はすぐについた。
 どちらが勝つかなんて事は明白で、意地っ張りだから悩むフリをしただけだろう。
 涎ぐらい拭こうな、セイバー。

「ふむ……そこまで言うのでしたら、いただきましょう」

 セイバーは箸を割った。
 こうして俺は、聖杯戦争始まって以来の最大の危機を、なんとか回避した。












「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

 俺とセイバーは向かい合わせで互いに頭を下げる。
 両者の間にある三重の弁当箱はものの見事に空だった。
 なんというか、セイバーは本当によく、
 食べる。
 食べる。
 食べる。
 ものの見事に食べきった。
 虎のように騒々しく食い散らすのではなく、あくまで丁寧。しかし速い。
 姿勢正しく、よく噛んで、よく味わっているのにも関わらず。
 たぶん、黙々と真剣勝負(?)で挑み、一度も箸を休めなかった所為だと思う。
 食べている間、一言も喋りはしなかったが、代わりに表情によく出ていた。
 コロッケはセイバー的に微妙なのか、とか。
 こくこくと頷き確認しながら食べる様は、本人には失礼かもしれないけど、微笑ましかった。
 あれだけ美味しそうに食べてもらえると、料理人冥利に尽きるというもの。
 セイバーが満足してくれてよかった。
 作り過ぎた弁当をどうしたものかと思っていたが、都合よく、誰かに謀られたみたいに役立ってくれたようだ。
 よかったのだが、その一方で、気になる疑問が頭に過ぎる。

「あのさ、ちょっと訊いていいかな?」

 食後の茶を注ぎながら俺は訊いた。

「なんでしょう?」

 すっかり機嫌を回復したセイバーが素直に応じる。

「あのさ、セイバーの話だと飯はサーヴァントの害にならず、むしろ、少なからず恩恵があるって事だよな?」

「ええ。サーヴァントが英霊であり使い魔である以上、魔力を糧とし、食事をその手段の一つとしている事は間違いありません」

「だったら、それって全部のサーヴァントが知っている事なのか? セイバーだから。いや、遠坂がマスターだからってことは?」

 俺は未熟だから知るよりも無かったが、遠坂は違う。
 これは魔術師側で把握する知識なのか、と。

「いえ、それは違います。マスターの事はを抜きしても、召還の際、基本知識は聖杯から与えられてます。
 この程度の事は、すべてのサーヴァントが知っていて当然のものです」

「やっぱりか……」

 俺は頭を抱えた。

「どうかしましたか?」

「いや、ちょっと。こっちの、身内の話だから―――」

 触れずにおこうかとも考えたが、ここまで言ってしまった後では既に手遅れか。
 セイバーに打ち明けて不味いことでもないし、せっかくだから、話してしまおう。

「じつはさ、うちのハサンに朝ごと夕ごと食事を薦めてるんだけど、絶対食べてくれないんだ。どう思う?」

 過程はどうあれ、セイバーがはらぺこだというのは良くわかった。
 それはわかったけれど、だからこその疑問。
 多少の個性はあるにしても、どうしてこうまで反応が真逆なのか。
 サーヴァントは目で見えるし、触れもするが、あくまで幽霊みたいな"肉"のない存在と聞いている。
 だから食欲というものが無くなっており、てっきり皆がそうだと思い込んでいた。
 しかし、セイバーの反応はあからさまに違う。
 こういうことに関しては凄くシビアなヤツなのに、あれほど頑なに飯の誘いを断る理由は、いったい何なのだろうか、と。

「ハサン……とは、アサシンのことですか。
 幾ら本人が認めているからと言っても、さすがに普段から真名で呼ぶのは、あまり感心しませんね。
 まったく、貴方という人は――――――いえ、今はそんなことを言っても仕方ないですね」

 うん、仕方が無い。
 他の人間はともかく、俺は今さらクラス名で呼ぶことに抵抗感がある。

「おそらく、アサシンは遠慮しているのでしょう。
 クラスの特性、それから先日の戦い振りを鑑みると、随一と言っていいほど魔力消費効率が高そうです。
 純粋な体術メインでしたから、私のように剣を振る度に魔力を使うなんて事は無いか、と。
 必要なのは現世とつながりだけで、逆にそのつながりさえあれば、マスターからの魔力供給すら要らない可能性もあります。
 ですから、食事から得られる魔力と、それを用意する貴方への負担を天秤にかけ、後者を取ったのではないでしょうか?」

 そういえば、ハサンもそんなことを言っていたな。
 俺から得られる魔力は殆ど無いけど、自分なら大丈夫だから、と―――しかし、

「理屈は通ってる。けど、アレは遠慮してるというより、まるっきり拒絶してる感じだった」

 はあと俺は溜息を吐いた。

「……そうですか。だとすると、アサシンにはアサシンにしか分からない理由があるのかもしれません。
 彼の者の在り方は、サーヴァントの中でも変り種のようですから。それ以上のことは私にもわかりませんね」

「……まあ、ハサンが変なヤツなのは間違いないけどさ」

 気配なく現れるハサンに最初はいちいち驚いていたが、近頃はもう馴れた。言うなれば、猫みたいなものである。
 隠密に従事する者は人前で食事を取ることを避けるというし、それも個性と思えば納得できなくもなかった。

「それにしても、この時代に来て食事を拒絶するとは、なんて惜しい―――いえ、もったいないことですね」

 やっぱりセイバーの拘りはそこにあるらしい。
 ハサンのことは一先ず置いておいて、雑談の延長で訊いてみる。

「なら、セイバーの時代のメシはどうだったんだ?」

 訊くと同時に、ぴくりとセイバーが震えた。
 眉の辺りにしわを寄せて、一言。

「――――――雑でした」

 ―――あ、
 セイバーの真名を知るとともに、その故郷も俺は了解している。
 ということは、あの、ネガティブな意味で有名なイギリスの料理なのか……

「き、訊いちゃいけないことだったかな?」

「いえ、そんなことはありませんが―――そうですね。
 この時代の基準で考えれば、とても料理と呼べたものではないことは確かです。
 湯がいただけの生臭い肉の塊や、炒っただけの硬いパン、などなど……」

「……………………」

「それでも夏場はまだマシで、今の季節、冬はそれはそれは悲惨なものでした。
 雪が降る前に捌いた家畜の肉がメインなのですが、この時代に比べると食品の保存技術はあまりにも拙い。
 臭みに堪えながら、塩で固めた半分腐りかけの肉を食すのが常。
 香辛料として胡椒はあるにはありましたが、私の国は辺境で貧しく、王族といえども気軽に使えない貴重品でした。
 更に言えば空調設備として煙突すらなく、屋根か壁に大穴をあけただけでしたから、要するに―――」

 セイバーは望郷に思いをはせたか、遠い目をする。

「寒さに震えつつ、煙にまかれて涙を流しながら、煤だらけの状態で、塩の味しかしない異臭を放つ肉を貪る。
 ―――と、私の食卓風景はそんな感じでした……」

 一気にまくし立て後、がくりと肩を落とす。
 今にもはらはらと涙をこぼしそうだ。

「そ、そうか」

 いろいろ思い出したようで、やっぱり訊かない方がよかったかと考える。
 イギリス料理がどうとかいう以前の問題だったみたいだ。
 セイバーが拘る理由が少しだけわかった気がした。

「それでも以前はそれが普通でしたし、純粋に燃料補給のためとの割り切りがあったので、問題なかったのですが。
 ―――食事の愉しみを知ってしまった今では、昔に戻れと言われたら、どうしたものか……と」

 俺の思考を補強するように、苦々しく本音を吐露するセイバー。

「ん? 今は遠坂がメシを作ってくれるのか?」

「はい。一言二言、苦言付きですが、毎朝毎夕、私のために食事を用意してくれます。
 とくに、アレは中華料理ですか、リンはそれが得意らしく、たいへん美味しい」

 セイバーは胸に手を置き、目を閉じ、うんうんと頷く。本当に美味しいらしい。
 遠坂が料理か……意外―――でもないか、何でもできそうだし。
 餌付けした、ってのは、まんざら間違いでもなかったみたいだ。

「もちろん、シロウの料理も、たいへん美味でした」

「そ、そうかな?」

 誰かを持て成すつもりで作った弁当ではないし、素材もそのへんのスーパーで売っているような普通のものだ。
 そう説明すると、セイバーはかぶりをふる。

「シロウの料理は繊細で、やさしい味がします」

 そう言って、にこりと柔らかな笑みを浮かべた。

「………………」

 ……反則だ。そんな顔をされると、せっかく忘れかけていたのに、また無闇に緊張する。
 真っ直ぐ見つめてくる視線に耐えられなくなって、俺は目を反らし、頭を掻いた。セイバーの顔に疑問符が現れる。

「……? どうかしましたか?」

「いや、なんでも」

 こほんとわざとらしく咳をする。

「そんなに気に入ってくれたんだったら、また作ってこようか? どうせ、ついでだし」

「はい。ぜひ」

 素直に頷くセイバーに、俺は苦笑した。
 食後の余韻に浸りながらの歓談は、こうして穏やかな空気を運んでくる。
 自惚れかも知れないけど、セイバーとの距離が図らずも昼飯を通して、少し縮まったように思えた。
 食という原始的な本能に根ざす行為に割く時間を共有することは、互いにある一定の愛着を持たせる効果があるのかもしれない。
 要は「同じ釜の飯を食う」という関係ってやつである。
 仲間あるいは家族という繋がりを深めるのに、これほどわかりやすいものはない。

 ―――よし、決めた!

 それが、俺のごく利己的な感情に基づく行為であることを認めた上で、決断する。

 "今夜は意地でもハサンに飯を食ってもらおう。"

 彼女(?)はよくやってくれているし、もちろん、命を預ける相手として十二分に信頼している。けれど、まだ壁を感じるのだ。
 その原因が即物的に「一緒に飯を食わないから」とまでは言わないけど、信用されていないみたいで、少し寂しくはある。
 さすがに藤ねえと桜も交えては無理だが、二人が帰った後で俺だけなら付き合える。
 二度手間になるものの、どうせハサンに魔術鍛錬を止められていて夜は暇になっているし、何だったらそれを逆手に取ってもいい。
 多少強引な手段を使ってでも、と、そう決めた。





 さて、

 ハサンの件は四半日後に決戦、と、未来の自分に託すことにして、今度はセイバーとの真面目な話に移ろう。
 思ったより早く食事が済んだおかげで、まだ時間はじゅうぶんあった。
 聖杯戦争に関わる重要な論議であり、昼食で和んだからといって、忘れたわけじゃない。

「セイバー、さっき廊下で話があるって言ってたよな。その続きがしたいんだけど、今からでいいかな?」

 居住まいを正し、俺は会話を切り出した。

「はい」

 と、セイバーは短く肯定した。
 きりりと彼女が身を引き締めるのに合わせ、自然、弓道場の空気も厳かなものに切り替わる。

「話というのは、他でもありません。おそらく貴方が疑問に思っていること、その答えになる事柄に関して。
 つまり、今こうして、私たちが共に在ることの説明です」

「――――」

 セイバーから返ってきたのは、予想通りの案件だった。
 あの遠坂が何の理由もなしに自分のサーヴァントを動かすわけがない。それなりの企みがあると考えて然るべき。
 現状配置から俺とハサンが関係しているのは明白で、だからセイバーの口から説明させるのだろう。
 ならば、と、その疑問とやらをぶつけてみる。

「……だったら訊くけど、どうしてセイバーが学校に来ているんだ?」

 それも、一女子生徒として。
 かなり突拍子も無いことだと思うんだけど。
 セイバーは答えた。

「結論から先に言いましょう。シロウ、あなた方がいるから、です」

「えっと…………やっぱり、俺のせい?」

「ええ、有り体に言えば。
 あなたが学園に赴くというなら、必ずそのサーヴァントであるアサシンも近くに潜んでいると見て間違いないでしょう。
 そこにリンを一人で向かわせるのは、蜘蛛の巣に餌を投げ込むに等しく、到底、許容はできるものではない。
 知っての通り、マスターとサーヴァントは一心同体。
 シロウとアサシンがそうであるように、これは私たちとて同じこと。
 目立つという不利益は覚悟の上で、サーヴァントがマスターを守護するという当たり前のことを優先した結果が、私の入学です。
 つまり、ここでの私の役目とは、シロウ、あなたに対するカウンターということになります。わかりましたか?」

 すでに用意してあった答えなのか、セイバーの口からはするりと言葉が紡がれていく。

「んー、それはわかったけど…………俺から言うのも何だが、そこまで警戒しなきゃならない相手なのかな、ハサンって」

 互いの力量差を考えると、過大評価し過ぎなんじゃないかって、普通に思うんだが。

「まだそのようなことを言っているんですか、あなたは」

 セイバーは呆れるように嘆息し、両手を胸の前で組んだ。

「たぶん、以前にも話したかと思いますが、上面だけを見て相手を侮るほど、私は愚かではない。
 本来は絶対に素性を知られてはいけない相手であるアサシンに、リンがマスターであることがバレてしまっている。
 その時点で、私たちは完全に後手にまわっています。
 たしかにアサシン単体の戦闘力は、サーヴァントとして並か、それより下といったところでしょう。
 一対一ならば、10度戦って10度とも私が勝つ自信はあります。ですが――――――」

 と、セイバーは顔を上げる。

「―――ですが、これは試合ではない。
 聖杯戦争とは、最後に立っていたものが勝者という、生き残りを懸けた消耗戦です。
 そのシステムの中では、暗殺と隠匿に長けたアサシンの特性は、この上も無く有利に働く。
 マスターを失えばサーヴァントの方も敗北必死ですから、
 実際、サーヴァントは別として、前回の勝者であるマスターはそうした手段を用いて戦う魔術師でした。
 警戒して、し過ぎるなんてことはない。
 ……それに、あなたも見たはずです。
 稀代の大英雄でありながら膝を屈した、バーサーカーの最期を……」

「うっ……」

 その場にいたんだから、もちろん知っている。
 とどめをさしたのはセイバーのはずだけど、そのセイバーの了見では、ハサンの所業になるらしい。
 まあ、言わんとしていることは、わからなくもない。
 叩き、捻じ伏せる暴力だけが強さではないのだ。
 奇しくも一昨日の攻防がそれを証明していた。

「サーヴァントが持つ強大な力に溺れず、慢心しないことも美徳の一つと言えますが、無闇に卑下するのも考えものですよ。
 己の手札、力量を冷徹に判断し、導くのもまた、将たる者に必要な器量です。
 それから……何なんですか、あれは。サーヴァントであり、ましてや敵である、この私を助けようとするとは……!」

 バーサーカーの話が出たところで思い出したか、セイバーは声を荒ら上げる。

「もちろん個人的には感謝してますし、いずれ恩義は返すつもりですが――――あれは愚行だ。
 勇気と無謀を履き違えてはいけません。益のない危険に自ら飛び込むなど、以ての外です。
 ことはあなただけの問題ではなく、あなたと共にあるアサシンへの重大な裏切りでもあるのですよ。
 もっと自分の身を労わってください。いいですね?」

「あ……うん、善処するよ」

「よろしい」

 圧され、頷くと、笑顔を向けてくれた。少し心苦しい。
 セイバーの語調は強く、怒気を孕んでいたが、それは本当に心配してくれている裏返しだと、いくら鈍い俺でもわかる。
 自分でも無茶だと思うが、あの時は無我夢中だったし。
 あの瞬間、自分の中にあった“殺される”という恐怖より、セイバーを“救えない”という恐怖の方が勝ったのだ。
 それに、ハサンのことはおろか、聖杯戦争、そしてセイバーが敵だってことさえ知らなかったから、仕方ないといえば仕方ない。
 でも、今後もし同じ状況になったとして、それでセイバーを見捨てられるかというと――――――
 ――――――いや、それはその時になってみてから、あらためて考えるとしよう。
 今は優先すべき別の事柄があって、そのことについて考えなきゃいけない。

「話を戻していいかな、セイバー」

 もちろん、と、セイバーは首を縦に振る。

「動機についてはだいたいわかった。遠坂のやつを守るため、ここにいるんだってことは。
 けど、それだけじゃ全部の説明になってない。
 そもそも護衛のためだけなら、わざわざ転校してくる必要は無さそうなんだけど―――」

「ええ。あなたが言いたいことはわかります。
 状況証拠からすぐにわかることなのでバラしてしまいますが、私は事情があって、霊体化できない身の上なのです。
 そのこともあって、リンは事前に私を喚び出した一週間前から、私を学園へ通わせる手続き等の準備をしていたようです。
 あくまで念のためであり、まさか本当に通う羽目になるとは思いませんでしたが、こうなった以上、背に腹は変えられない。
 シロウは変わらず通学すると踏み、リンの遠縁の親戚ということで、学園に潜り込むことになったわけです」

 ……そうか。セイバーは霊体化できないのか。
 ハサンもできないけど、それは俺が未熟な所為だろう。
 真っ当な英霊に見えるセイバーに、いったい、どんな事情があるんだか。
 さすがにそれを訊くのは、深入りし過ぎなので、黙っておく。
 代わりに俺は別のことを訊いた。

「そうなると、セイバーは遠坂の側にいなきゃならないんじゃないのか?
 でも、何故か転校してきたのはC組だし、あまつさえ俺を護衛する、みたいなことを言ってたけど、どうしてだ?」

「そのことについては……そうですね。
 リンの言葉を借りれば、人質交換、なのだそうです。その方が安全なのだ、とか」

「うーん……」

 俺は無い知恵を絞って、その真意を考える。
 比較するまでもなく、セイバーは絶対的強者だから、人質とはたぶん俺のことなのだろう。
 そして、交換というからには、俺一人のことじゃない。
 とすれば、対象はこの場にいない二人。その関係はどうなのかというと―――
 あ。
 理解の光が射した。

「なるほど。セイバーが俺の側にいると、ハサンは遠坂に手を出せないのか。
 危害を加えようとすれば、その瞬間、こっちでも同じ事が起こる。あまり想像したくないけど、セイバーが俺を殺すことになる。
 たしかにこれなら、下手に護衛という形を取るよりも遠坂は安全かもしれない」

 ハサンは絶対に俺を見限ったりしない。
 マスターとサーヴァントの関係のこともあるけど、性格的にも裏切りが出来ないやつだ。
 こうして話している限り、たぶんセイバーもそうなのだろう。
 だからこそこの均衡が成り立つ。
 実際に手を出すつもりはなくても、可能な状態であるというだけで、十分な抑止になるのだ。
 大胆ながら理に適っていて、じつに遠坂らしい策謀だと思う。

「ええ。また、逆の立場でもこれは同じ事が言えます。
 私は決して、シロウの身を傷つけるわけにはいかない。それどころか、第三者からの攻撃からも守る必要がある。
 あなたを護衛する、というのは、そういう意味なのです」

 僅かに微笑んで、セイバーはそう言った。
 これですべての辻褄が合った。
 共闘でも同盟でもないが、さしあたり、セイバーたちと殺し合う事態は回避できたことになる。
 先のことはまだわからないが、今は喜んでいいだろう。
 その筈なんだが…………


「……? まだ何かありますか?」

 すっかり話し終えたといった顔のセイバーだったが、まだ首を捻る俺を見て訊ねてくる。

「いや、まあ、はっきりしないけど……、何か変だ。
 話の筋はよくできている。よくできているからこそ、というか―――」

「……?」

「うん、セイバーの理屈はわかるんだ。
 なぜ転校してきて、どうした俺にくっついているのか。それは話してくれたことで間違いないんだと思う。
 うん、セイバーにおかしいところはない。だったら…………」

 胸に残る小さなしこり。都合が良すぎるせいか、煮え切れない違和感を覚える。
 単なる勘だが、まだ何かある、と。考えに考える。


「―――そうだ。セイバーじゃない。遠坂だ。遠坂の動機がわからないんだ」


 疑問を捉え切れないまま、自分の考えを口にしているうち、唐突に答えに行き着いた。
 頭の中にかかっていた靄が晴れ、俺はセイバーを真っ直ぐ見つめて言う。

「そもそも学校が危険なら、わざわざ来る必要なんて無いんだ。
 俺は生活規則を乱してマスターだと気づかれたくなかったから敢えて学校に通っているけど、遠坂の立場は俺と違う。
 正規の魔術師な遠坂なら、自宅に篭るか、俺たちの前から姿を消して街中に隠れた方がいいに決まっている。
 人質交換なんてことまで考えついて、実行に移せるくせに、そんな単純なことを思いつかないわけがない。
 だいたい聖杯戦争なんて、そう何ヶ月も続くようなものじゃないんだ。
 殺すか殺されるかって時に、何日かの欠席日数を気にするのも、おかしな話だろ」

「…………」

「ま、遠坂のことだから、"聖杯戦争中でも日常を壊されたくない"とか思っているかも。あと、うっかり……、とか。
 でも、たぶん、そのどちらとも違う。俺の考えでは―――」

 きっと、そういうことなんだろう。

「遠坂には、危険を犯してまで学校に来なくちゃならない、強い理由があるんじゃないのか……?」

「――――――――」

 深い緑の瞳が俺をじっと見つめている。
 表情ではわからないが、何かを考えているようだった。
 俺も無言でセイバーを見つめ返した。
 こうして正面から視界に止めると、彼女が驚くほど可憐で美人だということがわかる。
 だが、それで視線を逸らすわけにはいかなかった。
 やがてセイバーはふっと力を抜き、僅かに微笑んで言った。


「いいでしょう。話すか話すまいか迷っていましたが、シロウが自分で気づいたのなら、言わないわけにはいきませんね。
 ええ、たしかにリンは―――私たちは、小細工を労してまで学園に来なくてはならなかった理由があります」

「それは?」

 と、訊いた。

「それは――――――」













      …













「―――結界よ」


 相も変わらずの校舎の屋上。
 簡素な昼食を終えた凛は、ハサンと今後の出方について話し合う。
 ハサンの「どうして学校に来るのか」という質問に対し、凛は短く言い切った。

「それも、酷くたちの悪いやつ。
 結界内の人間を溶かして、滲み出る魂を強引に掻き集める、外法の魔術よ。
 発動しても、自分の体に魔力を通している魔術師には効果ないけど、一般人はそうじゃない。
 無遠慮に生命力を略奪され、昏倒するか、最悪、命そのものを止められてしまう。
 だから、今はコレを何とかするのが先なの。
 あんたたちに構ってられないってのが本音ね」

 そう言って、凛は屋上の、ある一点を指し示した。
 そこにはあったのは、魔術師だけに見える赤紫の禍々しい七画の刻印。たしかに、ソレは存在していた。
 凛は全部ではないものの、これと同じものを学園の敷地内で幾つか見つけている。

「言っておくけど、聞いた事はあっても見たことない"正義"なんてものを振りかざす気ないわよ。
 私は聖杯戦争におけるマスターだけど、 同時に、冬木の管理者<セカンドオーナー>でもあるの。
 こんな外道な真似、協会は許しても私は許さないわ。言ってみれば、責任とプライドの問題よ」

 と、凛は言い放った。

「………………」

 本来、他人の行動規範など、ハサンには興味がない。
"我が命我がものと思わず、武門の儀あくまで陰にて、己の器量伏し、ご下命いかにても果たすべし…………"
 中東の暗殺者という殻に閉じ込められているものの、その本質は同系の"葉隠れ"に通じる。
 己自身さえも道具と化し、主に尽くすのが暗殺者の在り方なのである。
 だが、堅牢な予測として、確実に自分が巻き込まれるとあっては、簡単に聞き流せない。
 無駄と覚悟しつつも、言う。

「仕事熱心なのは結構だが、今はマスターであるのが本業ではないのか?
 自身に影響ないというのなら、無視すべき事だろう」

「いいえ。本業とか副業は関係ない。どっちも私の"業"なのよ。
 どうしても両立できない時は優先順位を考えるけど、可能な限りはどちらかを捨てるという話にならない。
 結界を止める。
 聖杯戦争にも勝つ。
 これが私の答えよ。だからアンタが此処にいるわけだしね」

 ハサンは仮面の奥で顔を歪ませ、嘆息する。
 やはり、そういうことになるのか、と。



「…………で、わたしに何をやらせるつもりなのだ?」


「話が早いと助かるわ」

 と、凛はにやりと笑った。

「やってもらうことは単純。私の手伝い。この結界をどうにかする事の。
 見たこと無い複雑な呪式だし、正直、行き詰っているのよね。セイバーはこの手の事は苦手だし、協力してもらうわよ。
 そうね。先ずは結界の基点をすべて見つけ出し、潰せるようなら潰す。それが無理なら、抑え込むような処置を施す。
 その上でこれを張った下郎―――たぶん聖杯戦争絡みの魔術師でしょうけど、ソイツの正体を暴きましょう。
 アンタに手伝ってもらうのはそこまでよ。正体さえわかれば、叩くのは私とセイバーでやるから」

「………………」

「これは魂喰い。サーヴァントを強化する意図で張られたのは間違いないわ。
 ソイツにみすみす栄養を与えてやる理由はないから、まったくの無益とはならないはずよ。
 処理が済むまでは一時休戦。しかもそれまでは、セイバーが完璧にアンタのかわいい士郎を守り通す。
 決して悪い話じゃないと思うけど、どうかしら?」


 言いたいことは全部言い切って、凛はハサンの返答を待つ。
 分が悪いとまでは思わないが、これは凛にとって、一つの賭けだった。
 過去二度にわたる接触で、ハサンが忠義者であることは理解している。
 だが、マスターは何といっても、あの士郎だった。
 彼の聖杯戦争に対する考え方は、アサシンの能力とすこぶる相性が悪い。
 主に従いつつも、本音では何を考えているか、凛にはわからない。
 そこで、この提案がある。
 始終一緒にいるハサンなら、士郎が結界の存在を知ったらどう動くか、わかる筈。
 それがわかっていてなお協力を拒むようなら、ハサンは聖杯を得るがために動く、利己的なヤツということになるだろう。
 今は安全とはいえ、機会があれば刺される。士郎も。
 凛の中ではまだ、士郎は「巻き込まれた一般人」という認識を捨て切っていなかった。
 ほんの少し魔術を使えるがために巻き込まれ、覚悟も無く死ぬのは理不尽である、と。
 我ながら甘いと思いつつも、早々にアサシンを始末し、士郎の身柄を確保することまで、彼女は考えていた。
 しかし。
 士郎の意思を汲み取って、結界潰しに協力すると言うなら―――
 今度こそ信用する。士郎を任せられる。
 今回の結界絡みに関しては、場合によって自らの背中を預けても良い、と、凛は決めていた。


「で、どうなの?」

 無言の時間が長くなって、凛は再度訊いた。
 ハサンはやれやれと口を開く。

「それは、わざわざ答える必要がある事なのか?
 わたしが拒めないと知っていて、扱き使うつもりなのだろう。剣の魔女殿は」

「あ、そう……。協力するってことでいいわけね」

 心外な台詞を混ぜつつも、あっさり頷いたハサンに凛はやや拍子抜けする。
 いろいろ他の駆け引きも用意していた自分がバカみたいだ、と、思った。
 サーヴァントはマスターに似るというし、ひょっとしたら天然なのかもしれない。
 だが、これで答えは得た。
 凛は気持ちを入れ替えた。



「じゃ、しっかり頼むわよ。先ずは―――」

「待て」

 言いかけたところで、続く台詞をハサンが止めた。

「本題に入る前に、一つ、問題がある。
 協力しろと言うなら、わたしが可能な範囲で、協力する手は惜しまない。
 が、事は魔術絡みだ」

「……?」

「当然のことだが、わたしのクラスはアサシンであって、キャスターではない。
 中にはクラスの垣根を越えて魔術に長けるサーヴァントがいるかもしれないが、わたしはその限りではない。
 せいぜい、風除けの護符と呪いの手ぐらいなもので、結界に対しては役に立たないだろう。
 よって、セイバーと大して変わらないと思うのだが、な……」

「あ、そういうこと」


 存在自体は究極とも言える魔術の神秘だが、当人がそれを行使できるわけではない。
 ハサン自身が語った通り、大規模結界魔術の阻止など、キャスターでも無ければ無理な話だった。
 それを承知の上で、凛には別の考えがあった。


「アンタに全部やらせようってわけじゃないから、いいわよ。それに―――」

 凛はハサンの顔を見つめた。
 表面に出ている無貌の白い髑髏面ではなく、まるでその奥にあるモノを見据えるように。

「それに私は、あんたが分けの分からない魔術の知識を、私以上に持っていると踏んでる。
 ええ、たしかに魔術とは縁も縁も無いアサシンには、結界を破るなんて無理な話ね。
 ―――でも、あんたは別。今のあんたなら、可能なんじゃない?
 アサシンの皮を被った中身のあんただったら、少なくともヒントになるような知識を持っているはず」

 黒衣の暗殺者に向かって、はっきりとその名前で呼びかけた。



「―――ね。そうなんでしょう? イリヤスフィール」














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